とある東大生の脳内をのぞく

こういうこと考えてる東大生もいるんだなあ

入学から夏休みまで何をしていたか(勉強・サークル編)

 

 

 

こんにちは!わいあーるです。

 

数週間ぶりの更新となりましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 

 

大学生活は人生の夏休みという言い回しが有名ですが、僕は今その「人生の夏休み」の中の夏休みを満喫しております。

 

ハッキリ言って最高です。

 

冗談抜きで自分の好きなことだけをして生活しています。東京でニヤニヤしながら歩いている大学生がいたらたぶんそれは僕です。夏休みが楽しすぎてあふれる笑みが止まりません。

 

 

この記事では、そんな天国のような生活に突入する前に、私わいあーるが大学で何をしていたのか

 

東大生っぽく言い換えれば「Sセメ中に俺がやっていたこと」を書こうと思います。

 

※「Sセメ」とは?

東京大学は4-7月の学期を「S(Spring)セメスター」、概ね10月から2月までの学期を「A(Autumn)セメスター」と呼んでいます。つまり1年生のSセメスターは、大学に入学してから夏休みに入るまでの学期を指します。

ちなみに、( )内のSpringとAutumnという単語はあくまでも僕が「SとAってこの頭文字じゃね?」と勝手に予想してつけたもので、東京大学が公式に発表している呼び方ではありません。したがって間違っている可能性がありますが「春学期」「秋学期」という言い方があることを考えると、おそらく合ってるんじゃないかという自信を持てる当て字だと思います。

 

 

本当は1つの記事にして出そうと思っていたのですが、異常な分量になってしまったため、本記事は「勉強・サークル編」とし「バイト・その他編」を別の記事にして投稿いたします。

 

 

 

 

 

 

①勉強面

Sセメ中は大して勉強しませんでした。

 

強いて言えば線形代数はシケ対(試験対策の略。東京大学は、クラスの中で科目毎に定期試験の対策をする役割を学生主体でクラスメートに割り当てる文化があり、シケ対に任命されると、過去問の答えや小テストの解答・解説などを共有したり、試験対策プリント(略してシケプリ)を作ったりする。つまり僕は、線形代数という科目の試験対策をする役割になったということ)だったのできちんと授業に出て、放課後図書館に残って授業の復習を軽くしていました。

 

 

あっあと、スペイン語は各課が終わるごとに小テストがあったので、一応きちんと復習して小テストで死なないようにしていました。

 

しかし、Sセメの真ん中あたりで体調を崩し1週間丸々講義を欠席したら一気にスペイン語に置いてかれてしまって、そこからなぜか図書館にこもって勉強する気がなくなってしまったのですが。

 

あとは授業中に出された課題はなんとか提出日以内に出せるように適当に勉強してた、という感じですかね。

 

 

 

これだけきくと「こいつテストヤバくね?」と思われる方もいらっしゃると思います。

 

なぜなら東大理系の1年生は、だいたい必修が23単位くらいあって、日々少しずつ復習とかしていないと普通なら明らかにテスト前に詰み状態になるビジョンしかないからです。

 

 

まあ予想のとおり、僕は自分が当初取ろうと思っていたテストの点数(経済学部進学に必要な点数)にはギリ届かない程度のテストの手応えになってしまい「Aセメはもう少しコツコツ勉強してテストをオーバーキルできるようにしとかないと」と反省させられているのですが

 

それでもおそらく単位は来るんじゃないかってくらいの出来だったと思います(これで落単してたら発狂)。

 

 

全然勉強してないように見えるのになんでコイツ単位は取れるの?と憤りを感じた大学生の声が聞こえてきたので一応コメントしておきます。

 

 

 

 

大学の講義は、正面から向き合って真面目に勉強して単位を取るのがもちろん正攻法ですが、過去問を手に入れるなどシケ対を上手く活用すると、そこまで労力を注がなくても単位を取れるようになる道がある可能性があります。

 

つまり「ずる賢く生きることが可能なシステムになっている」ことがあるのです。

 

 

ぶっちゃけいいますが、大学の講義でやることはけっこう難しい(特に東大はイキって他大学よりも講義の進みが早い)ので、正面からぶつかって勉強するとかなりのコストを要します。

 

たしかに学問に誠実に向き合えば得られるものは非常に大きいのでしょうが、正直学問を追究すること以外にもいろいろやりたいことがある!という人が多いのではないでしょうか。

 

遊び、サークル、バイト、インターンなどなど…

 

 

大学でアカデミックにどっぷり浸かって、将来は高度な研究・開発がしたいという人はもちろん今のうちから学問に足を踏み入れたほうがいいに決まっています。

 

しかしそうでない人がガッツリ勉強をしても、正直非効率であると僕は思っているのです。

 

 

これは僕が好きなゲーム実況者の雑談動画なのですが、実況者さんが動画内でおっしゃっている通り「大学生活には、負担を減らせるように上手く生きることのできる逃げ道がある」と思うのです。

 

過去問、シケプリなどを活用すれば、普通の半分くらいの労力でなんとかなるかもしれません。その分の時間を、他のもっと有効なものに使うほうが効率的です。

 

(東大はクラス単位でこういうシステムが整っているので楽ですが、大学によってはサークルなどの縦の繋がりを利用して過去問を入手したり、友達と役割分担をして試験対策をしたりという手が必要になるかもしれませんね)

 

僕はこういう方法を駆使して、授業に1回も出ていない、自習も全くしていない科目の試験をなんとか耐え(たつもりでいる)、いま夏休みを迎えています。

 

 

 

つまりなにが言いたいかと言うと、勉強以外にもいろいろやることに時間を回していたので、勉強面については特に書くことがないということです。

 

 

ちなみにこれだけイキって話をして単位を落としていたら非常に恥ずかしいので、落単したらこの記事は削除しようと思います。9月に入ってこの記事が消えていたらそういうことなので、温かく見守るなりディスるなり好きにしてください()

 

 

 

 

 

 

②サークル

 

僕は高校のときからテニスをしていたので、東大のテニスサークルに入りました。

 

上野千鶴子氏が入学式で言っていた「東大女子が入れないテニスサークル」です。

 

僕はこの辺の議論に全く参加する気はありません。自分のサークルに東大女子がいないことについて、正しいことだとも間違っていることだとも思っていないからです。つまるところこのことに関して全く興味がありません。興味がない、とタイピングすることすらムダに感じるくらいに興味がありません。

 

 

で、そのテニスサークルの話に戻しますが、イベントはけっこうたくさん参加しましたし、練習も都合がつくときは極力参加しました。

 

夏休み中にもイベントはそこそこあります。都合の良い日はきちんと参加するつもりです。

 

ぶっちゃけて言うと大学に入ってから徐々にテニスに対する熱が冷めてきたので、練習は運動不足を解消する程度に参加すると思います。あと無性にテニスがしたいとき(練習場所まで1時間半から2時間かかるので滅多にそんなことにはならないと思いますが)。

 

まあでもけっこう楽しくサークル生活を送れるように最近やっとなってきたかな、という印象です。最初はあまり仲良くありませんでしたが、時間が経つにつれて同期の男子にも面白いやつがいることが分かりましたし、女子もみんなかわいくていい人なので…

 

 

 

 

こちらの記事には「東大に限らずいろんなサークルの新歓に行って人脈を広げたい」と書きましたが、一応人脈を広げてみたものの、性格上広く浅い関係を保つことが無理(狭いかどうかには限らず深い関係でいたい)なので、いまアクティブに活動しているサークルはそのテニスサークル1つだけになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「勉強・サークル編」は以上でございます。

 

実はこの記事の勉強面に書いたことは、受験終了直後のこちらの記事で書いたこととほぼ同内容になっています。

 

受験終了直後に得た大学生活の過ごし方のコツを、大学生活を実際に経験して実感しているということでいいんでしょうか。

 

このように、浪人中に経験したことが大学生活に入って役立っていることがけっこう多くて正直びっくりしています。

 

 

以前はプライドが邪魔して「浪人してよかったとは絶対に言わない」なんてトゲトゲしいことを言ったり書いたりしていましたが、いまはもうそういう下らないプライドなんか捨てて「浪人してよかった〜」と思いまくっています。過去の自分ごめん。

 

 

 

では、この記事はこの辺にしますが、次の記事の特に「バイト」の項目は、めちゃくちゃ熱量を入れて書いているのでぜひ多くの人にお読みいただきたいです。それだけ今のバイト先が好きで、そこに込める思いが強いからです。

 

 

ではまた次の記事でお会いしましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

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出る杭は打たれる

 

 

諸事情により既に非公開にしてしまったが、このブログで一番最初に書いた記事のタイトルは「わいあーるの小さな美学」というものであった。

 

その記事に書いたものとは「似てるけどどこかちがう」ものではあるが、もうひとつ美学(というか好きなタイプ?)がある。それは

 

 

 

普段ボケっとやる気なさそうにしてる人が本気出したらめちゃくちゃ仕事できるのすごくかっこいい

 

 

というものである。

 

どこか中二病の臭いが漂う趣味ではあるが、そのような人に出会うたびに「ああこんな人になりたいな」と思っている。

 

 

 

 

 

 

最近では、たまたま用事があって降りた駅のコンビニの若い男性店員がこのような人間だった。

 

僕が入店してかろうじて「いらっしゃいませ」と発音してはいるのだが、声がボソボソすぎてそれが「エアロ・スミス」に聞こえなくもないというやる気のなさを見せつける。

 

そのときはお昼時で、僕が弁当を選ぶのに苦戦していると、どんどん客が店内に入ってきて、あっというまに3つのレジに長蛇の列ができた。

 

弁当を片手に適当に列に入ったのだが、どうも自分の列だけ回転が異常に早い。

 

 

見ると、レジ打ちの主はあのエアロ・スミスの男の人であった。

 

 

アラン・ドロン不在でした」とボソボソ声で言いながら(たぶん彼は「ありがとうございました」と言っていたのだと思う)死にそうな目でレジを打っているのだが、レジを打つスピードは稲妻と見紛うほど速く、電子レンジから弁当を出し入れする所作、商品を袋に詰め箸やスプーンなどを添える流れに少しの無駄もない。

 

 

こちらの記事にも書いたような「ギャップ萌え」というほどでもないが「この人すげえな…かっこいいな…」と思ってしまった。

 

 

 

 

 

話が大きく逸れたが、このボケっとしてる人が本気を出すと…という趣味を少し発展させると、次のようなよくある美学に話を広げることができる:

 

 

努力は人に見せるものではなく隠れてするものだ

 

 

詳しく説明すると、ボケっとしている人は努力を隠れた場所でしているから(天性の才能である場合もあるが)、普段ボケっとしていても本気を出せばハイスペックになるということである。

 

 

これは僕の中で最も大きな美学で、例えば体力をつけるためにランニングをするときは絶対に夜遅めの時間(21:30以降とか)に近くの運動公園に行くだとか、バイトの研修で上手くいかなかったところは営業終了後に人が少ないところで密かに練習するだとか、僕の日常生活の色んな部分の行動を決定する要素になっている。

 

 

というか、どちらかというと、隠れて努力をするのがかっこいいと思っているのではなく(その結果動きがよいという事実はかっこいいと思うが)、人前で努力をするのが恥ずかしいと思ってしまう。

 

 

その努力が失敗を伴わなくても(実際にランニングに失敗などはない)、人前で一生懸命なにかに打ち込んでいるとか、集中してがんばっているとか、そういう行動を見られることに対して恥ずかしいという感情を抱いてしまう。

 

 

しかしよく考えれば、そういった努力は決して悪いものではないし、人に見られてもいいもので、見てくれた人はむしろ「おつかれさま。えらいね、がんばって」などと応援してくれるだろう。

 

 

なぜ僕の中に、このような「意味不明な」美学ができあがってしまったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その答えが載っているツイートが先日僕のタイムラインに流れてきた。

 

 

 

 

 

 

「全員貪欲でフルパワー努力マン」という言葉を見て僕は冗談抜きで驚いた。

 

 

何を隠そう、僕は小学校中学校ともに受験をしなくても入れる地元の学校を卒業していて、僕の住んでいた地域は生活水準が比較的低く(僕の家も家賃数万程度の市営の集合住宅でした、いまは引っ越しましたが)、噂によれば選挙の投票率は20%台、俗に言う「ヤンキー」もけっこう多かったという地域であった。

 

「貧困地域」といってもまあ許される程度の場所で、(その地域だけが学区ではなかったが)そのような生活水準の生徒たちが集まる学校であった。

 

 

 

特に中学校で常にトップの成績を僕は取り続けていたのだが、先ほどのツイートにある「努力家がなじられイジメっぽくなっていた」というのは実際僕の身に降り掛かっていた出来事とほぼ同じで、トップの成績を取っていたことをバカにされ、肩身の狭い思いをしていたということは否定できない。

 

授業で発言すればクラスの1人が「ああーすげえなすげえなー」とたっぷりの皮肉をこめて言われ、周りもそれに同調しているという雰囲気である。

 

「出る杭は打たれる」という日本特有の風潮の、最も分かりやすい例だと僕は思っている。

 

 

 

別にそのようなノリがあることは完全悪だとは思わない。

 

やられていた僕側の意見だけを反映させるならそれは純度100%の悪であるが、やっていた側は、いい成績を取っていたことを別にそこまで本気で憎悪の対象とみなしているわけではなく、いわゆる「軽くイジっている」くらいの気持ちで声を出しているのだろうから、絶対にあいつらが悪いと大声を出して言うようなものではない。

 

 

しかし「出る杭は打たれる」という言葉を聞いたときに、けっこう多くの人が悪い印象を抱くというのは事実であろう。

 

 

 

「日本人はシャイだ」「同調圧力」「みんなが持っているから私も持たないと置いていかれる」

 

 

集団の流れに乗ることはたしかにマジョリティに属する安心感を得られる要素であることは間違いないし、日本が鎖国していて国の文化に大きな変化があまりなかったなど、考えればそれなりに言い訳紛いのものを思いつくことはできるが、先のツイートにあった「経験的事実」がこの国の悪しき風潮に寄与していると言うのは、決して言いすぎたことではないのではないだろうか。

 

 

エゴでない自己主張がすんなり受け入れられる、なにかにひたむきに一生懸命になっている姿が周りから認められやすい、そんな雰囲気の社会に住めていれば僕の苦労も軽くはなっていたのかなと思うこの頃であるが、「住めば都」という言葉もまた皮肉なことに事実であって、いまの社会に慣れきって日々行動をしている自分が、間違いなくこの世の中に存在している。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

モヤモヤが消えない人もいらっしゃると思うので説明しときますが

いらっしゃいませ→エアロ・スミス、ありがとうございました→アラン・ドロン不在でした

の対応については、こちらの動画をご確認ください。

 

 

 

 

 

 

 

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何者にもなれない自分がいる

 

 

大学に入り、広い広い東京という都市に投げ出され、自分の方向性を見失いつつある。

 

アイデンティティの喪失である。

 

 

 

 

 

 

 

新たなコミュニティに属し、実に多様な人々の荒波に揉まれる中で、他人が持つ自分にはないものに憧れ、うらやましがり

 

自分にはないものを持つ他人と、それに対して何も持たない自分を比較しては自分を憂い、いまの自分の無力さを嘆く。

 

 

他人から抜きん出るものを持ち合わせられず、東京にいる大勢の人にのまれて「自分は何者にもなれていない」という感情に苛まれる。

 

 

 

 

もとい、自分の自分らしさを上手く発揮できていない自分がいるとも言える。

 

自由度が高かった男子校を卒業したことも影響しているのか、自分の言動が一般社会での今の状況に相応しいものなのかを考えすぎるあまり、自分の素直な発言を自己検閲してしまっている自分がいる。

 

直感的に出てきた言葉でなく、自分の理性というフィルターを通って、つまり2回3回と遠回りをして出てきた言葉をしゃべり、ありのままの自分がありのままに話をしている感覚が消えている。

 

だれにも分からないところで取り繕った自分が言葉を話しているという感覚が、自分らしさの喪失を招いている。

 

 

 

 

 

 

 

自分の自分らしさを見失い、他人に何者とも認知されていないと感じると、人間の根源的な承認欲求に基づいて、自分を無理に大きく見せる言動を取りたくなる。

 

少し見栄を張ってウソの経歴を言ってみたり、小さな出来事でさえも他人にひけらかすように話してみたり。

 

 

こうして根本の承認欲求に突き動かされても、頭のどこかで理性は働いていて「ここで自分語りをしても面白い会話にならない」「ウソなんかついて何になるんだ」と第三者視点から野次を飛ばしてくるマインドが存在し、その声にまた自分を必死に取り繕っている惨めな自分の姿を思い知らされる。

 

 

 

 

とは言ったものの、そこで「じゃあ自分はどんな人になりたいの?」と問われても、答えは出てこない。

 

他人から卓越した自分を理想としているのは確かだが、どんな点で卓越したいかが明確にならない。

 

 

 

 

 

どんな点かは分からない。そのためにどうすべきかも見えない。

 

 

とにかく、自分を自分たらしめる何か、アイデンティティがほしい

 

「一般の人」から抜け出し、自分が他人とは区別されて周囲に認められるものがほしい

 

会う人々がそれとして認知してくれる「何者か」になりたい

 

 

 

近頃、そんなことを思いながら生活を送っている。

 

 

 

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君の名は。からよく分かる「ギャップは最強」という事実

 

【注意!!!!】

この記事には、映画「君の名は。」のネタバレが入っています。けっこう致命的ですので、君の名は。をまだ見てないけど見てみたいという方は、そっとページを閉じて次の更新をお待ちください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は僕は、極めて熱い「君の名は。」ファンである。

 

映画館で4回、地上波やブルーレイで4回、合計8回はその映画を見ている、言うなれば引くほどのオタクである。

 

 

僕は東京に強いあこがれを持っている地方出身の田舎者であるので、作中の綺麗な東京(特に新宿、それに東京タワー方面の高層ビル群)の景色を見ては「本当の景色をずっと肉眼に収めていたい」と思う。

 

 

そしてなによりヒロインの三葉が非常にかわいい。

 

入れ替わった生活に翻弄される姿や、健気に東京へのあこがれを叫ぶシーンもあり、とても愛着がわきやすい、思わず好きになってしまうキャラクターである(個人的には上白石萌音さんの声も神だと思います)。

 

 

これ以外にも「君の名は。」の魅力を語り始めると1億字をゆうに超えるのでこのあたりでとどめておくとして、作中に次のようなシーンがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

入れ替わっていない状態の瀧が、隕石によって半分以上が消滅した糸守町を訪れたとき、宮水神社の御神体に捧げられていた三葉の口噛み酒を飲む。

 

飲んだ後に足を滑らせた瀧は、三葉の過去(誕生から隕石の被害に遭って亡くなるまで)を走馬灯のように見る。

 

その中には、三葉の幼少時代として、妹の四葉が誕生して数年後に母が亡くなったこと、その心労もあってか、婿養子である父が祖母の一葉と神社の後継ぎを巡って口論し、絶縁に至ったことが描かれている。

 

 

 

 

 

 

 

このシーンをご覧になって、みなさんはどういう感情に至っただろうか?

 

あんなはつらつとしていた三葉の暗い過去を見て意外だった、お父さん婿養子なんだからおばあちゃんに従え、集落再生事業の継続!!!!!そのための町の財政の健全化!!!!ヒェァ!!!!!など様々な声が聞こえてくるが

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は「三葉により近づきたい」という気持ちに至った(なにこの人気持ち悪い)。

 

先ほども出た「あんなはつらつとしていた三葉の暗い過去を見て意外だった」という声がそのまま僕の印象なのだが、そこを通過して「近づきたい」と思ったというか、三葉のことを「より」好きになったのである(なにこの人気持ち以下略)。

 

 

 

ここにどんな要素が隠れているかというと「三葉のギャップに萌えている」ということである。

 

これはこの映画に限らずリアルな世界でも起こりうることであるが、意中の人の暗い過去(両親の死別・離婚などいわゆる「複雑な事情」)をきいて、その人に親近感を抱いたというか「その人の暗い過去も合わせて受け止めてあげたい」「その人を守ってあげたい」という感情を抱いたことはないだろうか?

 

僕が本気で三葉のことを好きであるわけではなく(まあ現実世界にあんなのいたら僕の組紐も伸びて絡んで繋がっちゃいますけど)単に愛着が湧いているに過ぎないが、そういう人の暗い、人には見せたくない場面を見ると、どうしてかその人に対する愛着が深まる。

 

 

 

 

この例からよく分かるが、ギャップというのは最強のテクニックである。

 

普段クールな人が自分の前でだけ甘えてくれようものならもうそれは間違いないが、他にもいろいろな形でギャップというのは人を恋に落とすし、人の恋を加熱させる。

 

 

例えば、普段あまり口を開かず物静かで自己主張しない人が実はスポーツが大の得意であったとか、完全無欠で非の打ち所がない高嶺の花のような人が実は虫が苦手だったとか…

 

 

恋に落とす、とは言いすぎかもしれないが、確実に既にある恋心を勢いづける役割は担っているだろう。

 

 

 

しかしギャップ萌えというイベントを発生させるには、相手に悪い印象を抱かれていないことが絶対条件になる。

 

なぜならキモい人が自分の前だけ甘えてもキモいとしか思わないし、無口な陰キャがスポーツ万能でも「けど陰キャだから…」となるし、欠点はないけどそれでマウントを取ってくるやつが虫を見て騒いでいても「かましいわお前にも殺虫剤かけたろか」となってしまうからである。

 

 

 

発生させる条件はやや厳しいが、それを乗り越えてギャップ萌えを上手く活用できるようになれば、恋に忙しくなる生活が来る可能性は極めて高いだろう。

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに僕は三度の飯よりショートカットの人間ですので、三葉が髪を三つ編みにして上に持ってくのを見て毎回ガッツポーズしてますし、三葉がバッサリ髪を切ったときはもう僕のティアマト彗星もただひたすらに美しい眺めだった。

 

 

 

 

 

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反抗期

 

 

僕の身内の1人が、ただいま絶賛反抗期である。

 

親の言うことひとつひとつにいちいち反抗し、それにイラついた親も臨戦態勢で会話を続ける。

 

 

子供が反抗期に入ると親はだいたい「うちの子もう反抗期がすごくて…」などと友達に愚痴り、なぜかあたかも反抗期に入って気が立っている子供が全て悪いかのような扱いをすることがほとんどである気がする。

 

子供が全て悪いかのような扱いとまでは言わなくとも、もう一つ例をあげるなら「反抗期は年頃の子には付いてまわるものだから、多少は反抗されても仕方ないよね、我慢するしかないよね」のように、どこかその責任を子供に押し付けるような態度がある。

 

 

しかし、それは本当にすべて子供側の問題なのだろうか?

 

反抗期には、親と子のどちらかだけで成立するのではなく、親と子どちらもいて初めて子供側に起こる現象なのだから、その責任を子供だけに押し付けるのは少し早とちりである気がする。

 

それではここから、僕がその身内と親との会話を聞いて思ったことを述べ、適宜外部の情報を参照しながら、反抗期について少し考察してみたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

「反抗期」でネット検索をしてみると、コトバンクでは次のように解説されている。

 

精神発達の過程で成熟に先立ち,他人の指示に抵抗を示したり他人との社会的交渉を退けたりして拒否的態度や行動を示す期間をさす。幼児期に親の指示に反抗したり強情を張ったりする時期を第1反抗期,青年期の初めないしそれに先立ってふさぎ込んだり,また人に逆らって乱暴したりする時期を第2反抗期と呼ぶ。

 

そもそも反抗期には、幼児期のものと青年期のもので2つの種類があるようだが、まえがきの雰囲気からも分かるように、ここでは青年期の反抗期について考えることにする。

 

この解説の中にある「ふさぎ込んだり」という文言については、リビングなどの共同生活の場所におらずに自分の部屋にこもっていたり、親に論破されてふてくされていたりする子供のイメージのことであろう。

 

 

僕の体験談に戻るが、僕の身内とその親の会話のうち戦が始まってしまったときの会話をきいていると、子供から会話を始めることはほとんどなく、親が言ったことに子供が反抗、それに親が逆上ししょうもない戦いが始まるという流れをだいたい取っている。

 

 

 

 

さて、ここで着目すべき点は、大体の場合が大人から会話を始めているという点である。

 

たしかに子供から話しかけて会話が続く中で子供がキレはじめるというパターンもなくはないが、そもそも反抗期中の子供は(上の「ふさぎ込んだり」のところにもあるように)基本的に家で会話をしたがらないので、反抗期の子供との会話は親から始まることが多いと言える。

 

 

加えて、親がはじめる会話は主として「いやそれって別にきかなくてもよくね?」と思う質問だったり「それ子供1人でもできるから言わなくてもよくね?」というものが多い。

 

例えば「明日の遊ぶ予定って何時からなの?」とか「寒いから歩きじゃなくて車で送ってこうか?」など。

 

それが親の子供を思う心だ、ということは理解しているが、どうも反抗期の子供にとってはそれがうっとうしいらしい。

 

 

ここで、先ほど載せたコトバンクからの引用にある「…成熟に先立ち、他人からの指示に抵抗を示したり…」ということに着目する。

 

具体的な核心に迫るには少し論理の飛躍が気になるところではあるが、まずはこの2つの要素から、少なくとも「反抗期は子供だけのせいではない」ということは分かる。

 

親が、いわゆるお節介のような内容で会話を始めることにより、子供がそれに抵抗を示すということなのであるから。

 

 

 

 

そして、その抵抗に基づくものはなにかというと

 

子供の「自立したい」「大人だと思われたい」という気持ち

 

であろう。

 

 

親は、子を思う気持ちに依存して子を手助けするような言動を取るが、その言動は「自立した大人だと思われたい」という子供のある種のプライドのようなものに触れて反抗する。その反抗に対し親は「思いやって言ったのにその態度はなんだ」となって開戦する。

 

 

この、子供の自立したいという気持ちに対する理解の欠如は思ったより多い。

 

この気持ちに気づかない親のエゴが、反抗期の子供とその親の終わりなき戦を生み出す原因のひとつだと言ってもよく、反抗期を頭ごなしに子供に押し付けていると、このループから抜け出すことはできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし仮にそれを理解できていたとしても、たいていの親は、大切に育ててきた子供が自分から離れていってしまう寂しさのようなものに駆られ、分かっていてもまたお節介をしてしまうものである。

 

10年以上、まだこの子が目も見えず、記憶さえままならず、自分にぴったりくっついて温もりと栄養を求めて泣き叫ぶことしかできなかったときから宝物のように見守ってきたのに、その子が自分から離れることを選ぼうとしているのだから、相当の精神力、子育てに対する理解がなければ受け入れられない現実だろう。

 

 

だがいつか、現実を受け入れられないで足踏みしている自分を優に追い越して成長し、そんな親の気持ちを子が理解するようになり、その成長を目の当たりにした親は「この子はもう本当に自立していくのか」と思い知らされ、寂しいながらも我が子の巣立ちを陰から見守る。

 

 

たくさんお節介をかけたから、たくさん反抗されたからこそ理解は深まるのであり、そういう点で反抗期は意味があるものになる。

 

 

 

そして逆説的ではあるが、反抗的な態度を取っている子供は、親から発せられるうっとうしい言葉を理解するために、君に対する親の感情を知っておいてほしい。

 

親はわざわざ余計なことを君に言ってくるが、それは親が君のことを大切に思ってくれていることの裏返しである。

 

外出している間に掃除されている部屋、畳まれた洗濯物、産まれてからずっと食べてきたご飯の味。

 

親の愛はこうして目に見える形だけに出るとは限らず、ときにはお節介にも、ときには邪魔にもなりうるような見えない言葉にも表れる。

 

経験を積んで本当に君が自立したとき、そして家庭を持って子を授かったとき、必然的に、というか嫌でもその気持ちを知ることにはなるが、君を思ってくれる親の存在が今もたしかにそばにあるのだから、それは一足先になってもよいのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【5月祭】新元号は「タピオカ」です。@正門横1

 

 

こんにちは!わいあーるです。

 

 

今回は、勉強法の記事の前に5月祭の宣伝です!

 

今まで隠していましたが、僕は理科一類13組に所属していて、5月祭では

 

元号は「タピオカ」です。

 

という店名で、タピオカドリンクを販売します!!!!

 

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場所は【正門横1】というところです!(以下の地図参照)

 

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この↑地図の黒丸のところあたりにお店を出しています!

 

売るものは、ずばりタピオカドリンクです!!!!

 

味は

 

いちごみるく

・ミルクティー

・紅茶ストレートティー

・ほうじ茶ラテ

・オレンジジュース

・カルピス

 

の5種類です!幅広い層のお客様に楽しんでいただけると思います!

 

 

気になるお値段ですが

 

1杯250円(タピオカ2倍は+50円)

 

という、文化祭らしい破格設定になっています(笑)懐が痛い

 

しかも、安いからといってチンケなドリンクを販売するのではなく、きちんと1杯360mlのカップに入れてご提供します。

 

360mlは、ゴンチャで言えばMサイズに近い内容量になっています。

 

これは僕たちの飲み物を買って一息つくしかありませんね…!!

 

 

ちなみに僕は、18日はだいたい全日お店にいて、19日は午後ならお店にいます!

 

ぜひお店の店員さんのだれかに「わいあーるはいませんか?」と声をかけてみてください。いればすぐに応対しますし、いなければ少し外しているということなので、また別の時間にお越しください。

 

ちなみに、クラスのみんなにはわいあーるの存在は1人を除いてバレていないので、僕がいないときにわいあーるという名前を出してもみんな「???」となると思います笑

 

 

ご要望があれば、受験のことを含めいろいろお話をする時間を取れると思うので、一般のお客様はもちろん、これから受験をむかえる人も、ちょっと勉強のペンを止めてぜひご来場ください!

 

 

 

明日明後日5/18(土),19(日)に、本郷キャンパス正門横1で、みなさまをお待ちしています!!

 

 

 

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僕の大学生活のビジョン

 

こんにちは。前回の更新からずいぶん日が空いてしまいました。すみません。

 

今回は、というか、ここから何個かの記事は、いつものくだらない僕の考察を書き連ねた内容ではなく「いま東大進学を夢見て努力している人を応援する気持ちで書く」というコンセプトのものを書きます。

 

というのも、この記事を書いている日に「非進学校の東大生が集まるコミュニティ」に入会審査をしてもらい、さすがに僕の高校の実績なら通るでしょと余裕ぶっこいてたら

 

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見事に落選。

 

たしかに私大はそこそこ出してますが、東大はたまたま一昨年昨年今年と3年連続して一人ずつ出ただけでそれ以前は4年に1回とかだし(オリンピックではない)、理系は僕が約10年ぶりですし…

 

個人的には、昨年のミス東大のにちこさんもこの団体の合格体験記に寄稿されてたので、俺もいけるかなあと思いましたが、あれはミス枠だったんでしょうか…

 

 

とにかく、一つの団体から入会を拒否されたので、ヤケクソになって「いま東大進学を夢見て努力している人を応援する気持ちで」記事を書きます。

 

僕がいまのところ書こうとしている記事は

 

・大学生活をどのように過ごそうと思っているのか(いまここ)

・僕の勉強法(心構え編、英語編、数学編、物理編、化学編、国語編)

 

です。思いつきで増える可能性がありますが、とりあえずこの7本です。

 

 

前置きが長くなりましたが今回は、僕が大学生活をどのように過ごそうと思っているのかを書きます。やりたいこと、意識することなど、思いつくことをいろいろ書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、そもそも大学生活って4+k年間、人によっては10年近くあるわけです。

 

長いように見えますが、なにも考えないまま過ごせばすぐ終わってしまう期間だと思います。なぜなら、大学やサークルの友達と遊んでると楽しくて、時の流れがとても早く感じるから。

 

じゃあその長いようで短い生活をどう有意義にしようか?ということを考えて、4月中の僕が出した結論・実際に行ったことはこちら。

 

 

 

①人脈を広げる

 

これは実際にやりました。4月は、いろんな大学のいろんな部活・サークルが新歓をやっています。そこに参加して知り合いを増やすのです。

 

東大生だから東大の新歓だけ、なんてことありません。他大のサークルの新歓や、いろんな大学の生徒が集まるインカレサークルの新歓に行って、幅広い知り合いを作りましした。

 

もちろんその中で本当に入りたいと思えたサークルには実際に入りましたが、新歓に行くだけでも、人脈を広げる以外に、新しい人と話して自分を覚えてもらうという練習になって、個人的に非常に有意義なことをしたと思っています。

 

この広げた人脈がどこで自分に影響するのかなんて分かりません。そもそもそんなことが予め分かっていたら、友達選びでさえもっと意図的になっていたはずです。

 

しかし僕は人と話すのが大好きですし、新しい人のいろんな体験とかすごさとかをきくのも好きですし、人脈は広いに越したことはないと思うので、たくさん新歓に行き知り合いを作りました。名前を覚えるのが死ぬほど大変であることに耐えられれば、ぜひみなさんにもオススメしたい行動です。

 

 

②将来から逆算する

 

早稲田のとあるサークル(飲みサーでした)の新歓に行って出会った早稲田3年の先輩に「できるなら、自分の将来像から逆算して今やるべきことを考えるのが効率がいい」とアドバイスをもらって、たしかにそうだと思いました。

 

行動するなら目標を持ったほうが、その目標が行動に意味づけしてくれて、有意義なものになります。逆説的ですが、その目標をもとにして今の行動を逆算すれば、自ずと意味あるムーブが見えてくるかもしれません。

 

これはまだ将来像が決まっていない僕は上手く実践できていないのですが、将来のことを真面目に考えさせてくれるきっかけになったアドバイスですし、どこかで必ず役に立つと思っています。

 

 

 

 

とりあえず僕が現時点で意識していることを書きましたが、将来像がまだない僕でもやりたいと思っていることがあります。それは

 

留学です。

 

今の時代、正直留学なんてかなりベタです。やってる人なんていっぱいいます。しかし僕が考えているのは、単位交換制度やインターンを視野に入れた留学です。

 

普通の留学は、1年くらい休学して自由の身になり(つまり1年留年して)、語学を習得したり異文化を学んだりなどしますが

 

興味ある仕事に関連した会社でのアルバイト、インターンなども視野に入れ、ついでに単位交換して休学せずに留学しながら学年も上げようかと思っています。

 

普通に留学してもそこまで成長しないと思ったからです。レベルがちがうのは分かっていますが、僕が昨年の3月に浪人を決めたときに「せっかく1年やるならトップのお茶の水校に行っていろんな経験をしよう」と思ったのと同様に「せっかく1年留学するならこの1年に詰め込めるだけ詰め込もう」と思っています。

 

具体的にどうしようかはこれからいろんな機会を探りながら決めていくつもりですが、僕は高2のときにニューヨークとボストンに短期研修に行ったことがあって親近感を抱いているので、できればボストンの大学に行って自己研鑽できればいいな、と思っています。

 

 

 

…という感じで簡単に筆を進めていますが、現実的に考えるとけっこう厳しい事実もあります。

 

まず1つ目に、資金の問題。

 

僕の家庭はそこまで裕福ではありません。大学の授業料も私立大学だったら危なかったくらいで、つまりこの感じでは留学資金はどうにかして自分の力で捻出しないといけなくなります。

 

単位交換制を使うならば授業料は東京大学に納めればよいですからそれは置いといて、置いといたとしても留学には現地で必要な資金など多く見積もって300万円以上は必要なのではないかと思います。

 

学生生活を8割くらいバイトに捧げれば2年程度でこの金額は手に入れられるかもしれませんが、他にやりたいことはたくさんあるので、そこで僕が考えているのが奨学金の給付です。できれば、返還義務のない給付型のもの。

 

日本学生支援機構ではなく、いまは様々な民間団体が給付型の奨学金の募集をしています。

 

僕の家庭事情であればギリギリ出願はできるので、可能性のあるチャンスはすべて掴みに行くという気持ちで、4月中はけっこう出願書類の作成に時間を使いました(それでも出願しきらなかった団体もあります)。

 

実際いまは、とある団体の書類選考に通って、某日に面接を控えている状態です。選考結果発表待ちの団体もあります。

 

といってもこれでも資金はまだまだ足りませんから、別のなにかの機会を探るか、自分でお金を稼いで足しにするということももちろん考えています。

 

 

2つ目に、本当に単位交換をしてくれるのかという問題。

 

というのも、海外の大学は学部4年間が一般教養の授業で、専門的な追求を開始するのは大学院などからというスタイルが多いです。

 

それに対し日本の大学は教養課程は長くても2年まで、3年以降は専攻が始まってしまうのです。こんな感じで、本当に単位は交換されるのでしょうか。甚だ疑問です。

 

 

 

というふうに、ひとくちに留学と言っても考えるべきことはたくさんあります。

 

しかも僕は東京大学での生活も疎かにしたくありません。

 

高校から続けていたスポーツのサークルに入って今はけっこう活動を楽しんでいますし、きちんと授業にもついていけるように放課後は図書館に入って勉強したりしています。

 

留学中は仕方ないですが、これからその準備や、バイトやインターンを始めて仮にそこに熱が入ってしまっても、特に勉強についてはテキトーに流したくないです。僕は理一から経済学部への進振りを狙っていて、それなりに点数を取らなきゃならないので今のうちはなおさらです。

 

 

そうなると本当に無駄なことができる時間って少ないんだな、と思います。

 

大学に入って少し休めるかな、と思っていましたが、そんなことはありませんでしたね。

 

けど浪人中みたいに嫌々走らされている感じではなくて、なにがあるか分からないけどとりあえず楽しそうだから走っている、という感じです。

 

 

 

大学生になると、将来のことはもちろん、自分の身の回りについても自分で考えなきゃならないことが増えてきます(特に一人暮らしをしている人はすべて自分で考える必要がある)。

 

そこで自分のキャパを超えてしまって、何者にもなれない自分をふと考え込んでしまうときもあります。

 

大学生活、楽しいことばかりではありません。新しいことをするには、今まで慣れていないものに順応するために違和感に強制的に触れなければなりません。

 

しかし、その違和感に触れてこそ、新しいことをやろうとしてこそ、楽しいことがたくさん見つかると思います。まずそのためには積極的に機会を掴みにいくことから始まります。

 

自分で動きにいって、やってみて初めて楽しくなります。大学生活の楽しさを決めるのは、結局自分の行動です。

 

 

勉強にサークルに交友にバイトにインターンに留学…どれもこなすのは無理だろう、と言われること間違いなしですが、そんなのやってみなきゃ分かりません。

 

二兎追うものは一兎も得ず、もとい、僕は大学生活でこそn兎追いたいです。そこでなにかが捕まらなかったとしても、追いかけること自体がいい経験になると思います。

 

僕の大学生活、けっこう楽しいというか、楽しくなる予感がします。浪人中に期待していたことが報われるかもしれません。

 

それは結局自分次第ですが、まず間違いなく言えることは、これから大学に進学するみんな、大学生活、期待する価値あるぞ。

 

 

 

 

では今回はこのへんで!次は「僕の勉強法(心構え編)」になります!

 

 

 

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