1Sの履修登録で知っておくと得すること
ご無沙汰しております!わいあーるです。
死ぬほど遅くなりましたが、新入生のみなさま、合格おめでとうございます。はてなブログでしか僕に接する機会のない人は、1月ぶりのご対面だと思いますので、改めてお伝えいたしました。
といっても、わけわかんない変なウイルスのせいで華やかな大学生活の出鼻をくじかれていると思いますが、強く生きてください。サークルとかバイトとか楽しいことだけを奪われて、授業だけオンライン()という形で残ってしまったのがかわいそうでなりません。
気を取り直して、東大では、1年生の履修登録が22日(水)から始まりますね。
この記事では、厳しい受験勉強を乗り越え晴れて「東大生」という肩書きを手に入れたみなさまに向けて、履修登録における注意点というか、知っておけば大学生活が有利になるかもしれない情報を書いておきます。
いつもどおり、こういう勉強系の話は「勉強をそんなにがんばれない人」の目線に立って話をしています。僕がそうだからです。
「大学は学問を修めるための場所であるから、まずは勉強を本分として、良い成績をバチコリと取っていきたい」という素晴らしい方が読んでも刺さりません。東大の新入生の中でも「大学に入ったら遊べる」ということが受験のモチベだった人が読むといいかもしれません。そういう人は絶対に勉強しなくなるので(ブーメラン)。
これは上に書いたような僕みたいな人以外にも、つまり全員に言えることですが、履修登録は絶対にミスなくしましょう。
履修登録でミスる人はまあいないと思いますし周りにもいませんが、大学では履修登録をしなかっただけで簡単に留年が近づきます。テストで点数取れなかった〜、レポート難しすぎて書けねぇ〜とかの前に留年を考えなければならなくなります。
ネットであれこれするだけの本当に小さい作業なのですが、ミスっただけでだいぶ窮地に立つことになりますので、気をつけましょう。
たまに大学からの連絡なんか目もくれない人がいるので、そういう人に気づかせてあげられるようにTwitterとかのSNSで「履修登録おわった〜、24の夕方までだし早く終わらせてよかった」的な発言をして履修登録の存在を匂わせてあげましょう。え?そんなやつ助けなくていい?まあそれは好きにしてください。
ここからがその遊んじゃう人向けの内容です。目に穴開けてテキトーに読んでください。ここに書いてあることがすべて正しいわけじゃないです。
まず、僕がさっきから言ってる「遊んじゃう人」ですが、そういう人も今は高確率で高い授業のモチベーションを持っています。したがって、今この記事を読んでも「まあ自分は勉強ちゃんとするし大丈夫」と思ってアドバイスをきかずに総合科目や主題科目をたくさん取りますが、どうせ6月くらいから出席ない授業は切って自分の時間にしはじめるか、がんばって最後まで授業に出てもテスト勉強・レポート作成ができずに撤退する未来になると思います。
特に、浪人中めちゃくちゃがんばって変に勉強する癖がついてしまった人は要注意です。そこのアナタですよ!僕のAmebaブログと一緒に浪人生活をがんばったそこのアナタ!アナタはもともと高校のときから勉強が好きでしたか!?ちがいますね!浪人中はなぜかやる気が出て毎日たくさん勉強して東大に入れましたね!その努力は認めますが自分がどういう人間かを理解して大学生活を送るべきです!自己分析は大事です!
現役生は知りませんが、そもそも最初から勉強が好きな人じゃない浪人生は第一志望の大学に入ると途端に勉強量が減ります。そして点数が低くなっていきます。そもそも勉強しなくても定期試験で点数が取れる人は現役で合格するからです。簡単でしょう?
今は想像できないかもしれませんが、大学生はいい意味でも悪い意味でも遊びを覚えます。自由なキャンパスライフ、高校に比べてゆるい授業、サークル、バイト、お酒、さらに恋愛。バイトして自分で稼いだ自由なお金を持ってそういう環境にさらされてみなさい。いままでがんばってきた反動でたくさん遊ぶに決まってます。何せ僕らが通うのは東京の代表的な副都心「渋谷」から目と鼻の先にあるキャンパスです。勉強を本分にして真面目に学問を修めるはずがないでしょう。
しかし勉強はしなければいけないのです。なぜなら僕らは東大生だから。他の大学とはちがう事情を抱えているからです。
「東大生なんだから、勉強しないなんてもったいないだろ!真面目に勉強して社会の役に立ちなさい!」というおカタいおバカさんの発言をするつもりはありません。「ちがう事情」というのは、そう「進振り」です。
なんとなく東大を志望した人が志望理由をきかれたときに「進振りがあるからです」と言う確率はそこそこ高いですが、そういう遊びたい人にとって進振りはいちばん邪魔な制度になってきます。
なぜなら、進振りのせいで我々は「点数」を要求されるからです。定期試験の点数が高い人から順に希望学部に振り分けられるのです。普通の大学は単位さえ取れれば終わりですが、僕らは単位を取るだけ、つまり50点を狙っていてはダメなのです。優を取らなきゃいけない。優は無理でも、できるだけ高い点数を取る必要がある。そういうプレッシャーに絶対迫られると思います。
こういうことを踏まえて、履修する授業を決めるべきです。前置きが長くなりましたね。結論を書いていきます。
僕は理科一類なので理系の話しかできませんが、理系の1Sは必修がたくさんあります。必修だけでもかなりの量です。これを全部こなして、履修単位上限の30単位ギリギリまで履修して全部に手が回る人は(僕らみたいな人の中には)いません。
つまり
総合と主題はほどほどにして、必修の勉強をに集中して必修で高めの点数を取るべき
ということです。「ほどほど」って具体的にどのくらいかというと、SセメとAセメで2個ずつくらいが多すぎずそれでも少なすぎずいいと思います。
というのも、理系は1年次にたくさん必修が詰め込まれてて、2Sがけっこう暇です。だから、総合や主題を1年のときにがんばらなくても、2Sでけっこうきちんと取れます。
え?2Sで暇ならなおさら1年のときにがんばって暇な2Sでもっと楽したいって?そういうことを考えている人は2Sの前に1Sで楽をし始めるのでやめましょう。
それに、2年生になればもっと学内の繋がりが増えて、仲いい人と履修会議ができたり、楽単を教えてもらえる機会や過去問をもらえる機会が増え、総合や主題を1年のときより楽に取れるようになります。1年のときに無闇に興味(笑)が湧いたからという理由で選択するよりも、そういう手段を選んだほうが楽だし、過去問とかもあれば点数も高くなりやすいです。
けど1Sの必修を2Sに取ることは、1Sで落単しない限りできません。したがって、1Sは必修に注力したほうがコスパがいいのです。自分でがんばれるという人は別ですが、ここまでこの記事を真面目に読んでいるアナタはおそらく僕と同じ人種で勉強をあまりしません。だから1Sは極力負担を減らして必修をがんばってください。
以上です。
今年はオンラインで、授業に出るという行為のハードルが下がっているおかげで、この記事に書いてあることが必ずしも当てはまるとは限りません。
が、勉強しない人はむしろ家にいるときのほうが勉強しないので、ぜひよく読んで記事の内容を参考にしてください。
そして、総合や必修を取るのは2個くらいがいいと言いましたが、その2個の中でも楽単を知りたいという人がいれば、僕が一生懸命に教えます。
2年は、この記事が公開されている時点で既に履修登録が始まっていて、僕ももう2Sの履修を組んでいます。友達とたくさん履修会議を重ねて、たくさん情報を入手した自信があるので、どんどん質問してください。↓に貼るTwitterのDMのほうが返信が早いです。ここのコメント欄はなぜか通知が来ないので見逃す可能性が高いです。
では今回はこのへんで!早くコロナが収束して普通の大学生活が送れるといいですね!
コロナで家にいて暇なのでプログラミングを始めました。そのうちドットインストールに課金します。
— わいあーる (@YR_UTokyo) 2020年4月15日
楽単など、履修に関する質問はこちらのDMまで!!!
K2という山についてアツめに書く
こんにちは。わいあーるです。
ただいま時刻は深夜3:30を回ったところ。
テスト勉強をスタバでしていたら、そのときに飲んだコーヒーのカフェインの妨害によって見事に寝つけない男子大学生が爆誕しております。
浪人中から僕のブログを読んでくださっている人はもうこの話に飽き飽きしていると思いますが、その昔、欧陽脩という人が「三上」という3つの「アイデアが生まれやすい場所」を言葉として残しました。「馬上、枕上、厠上」の3つですが、もうおわかりの通り、今日は枕上で書きたいことを思いついて今MacBookを開いている次第であります。ちなみに「枕上」の読みは「まくらがみ」と「ちんじょう」の2パターン存在しますが、今回は中国由来の語を扱っているので「ちんじょう」です。え?チン上ですか?騎乗位の話なら非公開の場でたくさんしましょうかかってこい。
ゴミみたいな前書きは置いといて、本題に入ります。
急に新興宗教の勧誘みたいな話し方をしますが、みなさんは宇宙は好きですか?僕は大好きです。別にパワーを感じるとかそういう怪しい話を始めるつもりはないです。どういうところが好きかというと、宇宙には地球では考えられない不思議な現象や我々を凌駕するような圧倒的な環境が存在するからです。分かりやすい例でいうと、地球から約63光年ほど離れたところにあるHD 189733bという天体。この星はガラスが大量に存在していて、時速7,000kmで横殴りのガラスの雨が降っているそうです。ネットに転がっているよくわかんないミステリー系の記事に書いてあったことなので本当のことかはわかりませんが、ウソだったとしても、時速7,000kmで降っているガラスの雨って、地球に住んでいる僕らでは到底信じられない環境ですし、そこにすごく宇宙の不思議というか、なにか僕らを超越していて不思議なものに接したときのワクワクした感情が生まれませんか?
それと同じノリで、僕は山が好きです。といっても、日本にあってけっこう簡単に登れるような近所の裏山とか富士山とかみたいな山ではなくて、登頂が困難である標高がかなり高い山です。氷河があって雪崩などが起きたり、クレバスや峡谷などが行く手を阻むような山。僕らの生活している環境にはないようなものがあると、そこに大きなロマンを感じます。一度は自分の目で見てみたい!と思います(そういう過酷な環境って特にクレバスとか危ないし行きませんけど)。
で、世界でいちばん好きな山はなんですか?ときかれたときに、僕は自信を持ってK2と答えます。Twitterの本垢の名前にしているほど好きです。そのへんに転がっている人が同じ質問をされてテキトーに「え?エベレストですかね」とか「富士山…?」とか答えるのとはちがうレベルでK2が好きというか、気に入っています。それには明確な理由があります。
①世界で2番目の標高
もちろん高さがあることは理由として外せません。カラコルム山脈最高峰の8,611mです。車を買ったらナンバーにしようか迷うくらいこの4ケタは好きです(タクシー数の1729とどっちにするか迷う)。それも世界一ではなく「世界で2番目」という控えめな感じがいいのです。ただ単に世界で2番目だからという理由のみでK2を好きになっていたらそれはただのひねくれ者みたいですが、以下の3つの理由も合わせてこの「世界で2番目」という要素が大事になってきます。
②登頂難易度が極めて高い
ここです。高さは世界で2番目のくせに、登るのが非常に困難なのです。その登頂難易度は世界一とも言われます。K2の通常の登頂ルートは、エベレストのバリエーションルート(整備されていないありのままの自然の道、ロープなどがないと登れないルート)以上の難易度があるそうです。そのくらい難易度が高いのです。ふつう、山でいちばん着目されるのは標高でしょう。その注目の的から一歩引いたところにいるのに、実際はいちばんの強敵といった感じがすごく好きです。僕の「普段はボケーッとしてたり落ち着いてゆったりしてたりするけど、本気を出したらバリバリに動いてめちゃくちゃ有能」というタイプの人が好きだという一種の性癖にも繋がっています。てかK2が好きな理由は専らこの性癖が元になっています。
③認知度が低い
もちろんK2という名前をきいたことがある人は多いと思いますが、エベレストやモンブラン、キリマンジャロなどといった山に比べれば全然有名ではありませんよね。実は歴史的に見ても、K2は人里離れた奥地にあって(最も近い村でも直線距離で80km離れている)、世界第2位の高さかつ最高の登頂難易度を誇るステータスの高い山なのに、19世紀末まで人々に知られることなく、名前もなかったのです。非常にコンテンツがあるにもかかわらず有名じゃないという事実が「能ある鷹は爪を隠す」という言葉が表すものに通じるものを感じさせて好きです。
④「K2」という名前
K2は "Karakorum No.2" という名称の略で、測量が行われたときにつけられた「カラコルム山脈の第2の山」みたいな簡易的なナンバリングがずーっと使われているのです。他の山はそれ独自の名前をもらっているのに、K2だけずっとK2という測量時代の簡素な名前で知られています(ゴッドウィンオースティンという立派(?)な名前もあるにはありますが、なぜかこれがなかなか浸透しません)。上で散々書いたような非常に強いステータスを持っているのに、自分だけの名前をもらわず測量時代のテキトーなナンバリングでやり抜いていて、強いのに変に飾らないどこまでも謙虚な態度に見えてとっても僕にとって好印象なのです。
特に①の「世界で2番目」という敢えて一番ではないところが、現役では東京大学に届かなかった不完全な自分に重なって共感を覚え、「けどこういう、他を寄せ付けない実力を備えているのに自分を誇示しない謙虚な人間になりたい」という気持ちに駆られて以来、僕はずっとK2が好きなのです。今もWikipediaのK2の記事をたまに読みます。日本語版は情報が少ないので英語版でも。
思いっきり深夜テンション(ここまで来るともう朝)で書いているので、普通の人が読むとただの意味不明オブ・ザ・ワールド・オブ・ザ・パトリオットな記事かもしれませんが、僕は冒頭以外めちゃくちゃ真面目に書いています。
K2が好き!って言ってる人に出会うのはおそらく僕が初めてだと思います(僕も自分が初めてです)が、この記事を読んでちょっとでもK2に興味を持ってくれたらそれ以上の幸せはありません。
ではこのへんで。
なんかブログ書きたい欲が最近高い(テストのおかげ)ので、読みたい記事があれば質問箱やDMにてリクエストください!
— わいあーる (@YR_UTokyo) 2020年1月21日
Twitterやってます。雑用から相談までなんでもどうぞ。
最後のセンター試験を受けるすべての人へ
2019年 1月19日。
いつもより1時間くらい遅い時間に鳴った目覚ましで僕は起きて、寝ぼけることなく自分の部屋を出て準備を始めました。センター試験当日の話です。
僕は試験のときに決まってカレーを食べるルーティンがあって、いつものようにちょっと高い辛口のレトルトカレーの袋と水道水を鍋に入れて火をかけました。
「子曰、」
袋が温まるのを待つ間、そしてその中身を炊きたてのご飯にかけて口に運んでいる最中でさえも、僕は脳内でとある書物の一節を繰り返していました。今日の試験のための最後の悪あがきとか、点数が取れるようなおまじないとか、気合いを入れるための名言とかいうわけではなく。ただただ、とあることを考えながら、漢文のワンフレーズを脳内リピートしていたのです。漢文選択者ならその名を知らない人はいないであろう、かの有名な「論語」からの一節です。
「子曰、周監於二代、郁郁乎文哉、吾從周。」
あと3点で涙をのんだあの日から始まった、長く仄暗い浪人生活の終わりが始まる、そんな一種のターニングポイントが2019年のセンター試験でした。初めて定期券を持ち、初めて1時間以上かけて都内に通学し、初めて都心の超有名校の人と接して地方と都会の教育格差を知り…ときには優秀な周りに比べて勉強量の割に成績が悪く、だれにもそれを相談できないほど病んで、東大がダメだったら自ら命を絶つことも考えていたくらい、ひとくちでは言い表せないような多種多様な経験をした1年でした。僕ら浪人生にとって、そんな悲喜こもごもの1年の集大成を飾るのが入学試験だったのです。それはこれから受験をする人たちも同じだと思います。浪人生とか現役生とか関係なく。その集大成を飾るまず第一歩が、センター試験であるわけです。
親や周囲の友人などの期待の分どうしても受からないといけないプレッシャー、落ちたときの肩身の狭さを考えたときの後がない気持ち、そういった様々な重荷に耐えながら勉強を重ねてきて、そのすべての努力の成果を出し切るときがもうすぐやってくるのです。当然のごとくだれもがいい点数を取りたい、他の人より高い点数をとって入試で有利に立ちたいと思って受験したと思います。
しかし僕は、いや僕らは、それよりもう少し特別な気持ちで試験を受けました。もちろん僕自身も自分のため、点数を取って入試に有利になるために必死にマークをしましたし、みんなもそうだったと思いますが、僕らは心の片隅に、他の人にはない少し特殊な思いを抱えながら、センター試験の会場に向かいました。
それは、同じ予備校で浪人していた高校同期の仲間の訃報が試験の直前に入ったからです。しかも僕はそいつと同じ部活に所属していて3年間けっこう仲良く過ごしていました。彼は僕とは別の最寄りの校舎に通っていましたが、僕が休みの日にその最寄りの校舎に自習しに行って顔を合わせれば普通に話して、お互いの近況を報告し合っていました。特に受験がつらいという素振りは見えなかったし、聞いたところによれば、むしろ成績が良くて志望校との距離もなかなか近いという話でした。そんな明るく気さくなやつが、上手くいきそうだったやつが、センターの一週間前に急にこの世を去ってしまったのです。自分の選択で。
センターの前々日に通夜が執り行われ、大学生も浪人生も関係なく、部活の仲間に限らず、高校同期の数多くが参列しました。面白いやつだったし、部の中でも上手いほうで人に囲まれていることが多かったからそれも当然です。高校同期の喪服姿を見るのがこんなに早くなるなんて、と思いながら僕は式場に向かっていました。3年間わちゃわちゃ部活をやったり、学校の行事にも一緒に参加したりした仲間たちが、今まででいちばん暗い面持ちで集まっているのをお互い確認し合って、俺らの久しぶりの集合がこんな形になるとは…なんてこぼしながら彼を弔いました。
式が終わった後、久しぶりに顧問に集合をかけられ、1年以上ぶりの輪を作りました。卒業する前より1人分だけ小さい輪でしたが。「浪人してるやつはアイツのことも背負ってがんばって来るんだぞ」と、まあ予想していた通りの趣旨の話を顧問は始めました。その顧問も学生時代に同じ予備校で浪人して、国語の教師として僕らの高校で働いていました。それもあってか、浪人した生徒の応援が卒業後も手厚かった(入試の動向の最新情報を部活のLINEで共有したりしていた)のです。
冒頭に出てきた漢文の一節を知ったのは、そんな顧問が輪で話をしているときでした。話の内容は覚えていませんが
「子曰、周監於二代、郁郁乎文哉、吾從周。」
のワンフレーズだけが僕の胸にとどまりました。話の内容を覚えてないくらいですから、たぶんそこまでその話に感動したとかいうわけでもないです。特になにか特別なストーリーがあったわけでもなく、普通にポロッと口にしていただけだったと思います。けど、僕はその一文で彼の名前のルーツに気づいて、その名前に込められた思いが少しだけ分かった気がしたのです。
別に、いちいちアイツのことを背負ってがんばるとか、お前が果たしていたであろうことを残る俺らが代わりに、とかそんな厚かましいことを考えるつもりはありませんでした。ただ、その名前に込められた思いを無駄にしたくないというか、それを潰えさせたくないと思っていました。その文字に込められた思いを汲み取って、僕らが全員でそれに応えるような将来を描きたいと思いました。そのために通るべき、通るはずだった最初の関門が、2日後のセンター試験でした。図々しいことを言うつもりはないから、どうかただ優しく見守っていてほしい。そうとだけ思って、式場を後にしました。
その日の朝、家を出るまでずっとその一文を繰り返していました。特に意味はなく、ただなにかを感じるもの。お守りみたいなものでした。
「子曰、周監於二代、郁郁乎文哉、吾從周。」
「周は(夏と殷)二代の礼楽制度を参考にして取り入れた。だから周のそれは華やかで立派である。私は周の礼楽制度に従う。」
「華やかで立派である」
それを表すたった3文字のためだけにずっと繰り返していました。その思いを汲み取るために。僕らがそれを実現するために。僕にできることはそれしかありませんでした。準備をして、家を出て、いよいよ始まるという気持ちに駆られるまで、ずっと。
ちょうど1年前の今くらいの話です。
ということで、ここまで昨年を回顧して自分が書きたいことを書きました。実際に起こったことだし、実際に僕がそう思っていたことです。ちょっとどころかだいぶクサいことを当時の僕は考えていましたね。浪人中は過剰にエモーショナルになって精神が安定しないのでああいう感じになってしまうんですね。
気を取り直して、ここからはきちんと明日からセンター試験を受ける受験生の読者様に向けてメッセージやアドバイス(?)を書きたいと思います。
この記事はおそらくセンター試験前日のお昼くらいに投稿されているでしょう。だれもが明日の試験に向けて最後の仕上げをし、夕方には家に帰ってコンディションを整えているところです。僕は試験や試合の前日、緊張するのか知りませんがいつもの5000兆倍くらい寝付きが悪くなります。おそらく理由は気合いが入りすぎてアドレナリンが過剰に放出され、それが入眠を阻害するからでしょう(わいあーる調べ)。同じような経験をこれまで何度かしてきた人もいるのではないでしょうか。したがって僕は前日の夜はいつもに増して「いつも通り」を心がけます。起きたら試験だから悪あがきをして勉強するとか、ましてトンカツを食ってみるとか言語道断です。今からでも遅くないですから、親が気合いを入れてご飯を作ろうとしている人は土下座をして献立を変更してもらいましょう。そしてお風呂に浸かって部屋に戻ったらいつもやっていることをやるのです。ちなみに僕はいつも家に帰ったら一切勉強せずにスマホをいじって寝てました。もちろん昨年もそうしました。みなさんは何をしていますか?え?恋人と電話?それはしたほうがいいですね。いつもの声をきいてリラックスして眠りにつきましょう。長電話はほどほどにして睡眠時間は確保してくださいね。寝落ち通話して翌日寝坊しろなんて思ってもいませんから大丈夫です。
まあ、もっとも、緊張を和らげる一番の方法は「これまで勉強を積んできた自分の実力を信じて、センターなんて余裕さ!というくらいの心持ちでいる」ということです。昨年の僕はそうでした。センター試験は2次試験の通過点。不合格になってから1年間、センターのためじゃなく2次のために勉強してきたんだから、足切りされなければ多少はセンターで失敗しても痛くねえよ。と思ってました。そもそも、明日失敗することを考えても48時間後にはセンターは終わって、また別の戦いが始まるのです。嫌だとしても、2日後の今は別のことを考えているのです。今ここでその2日間のことをどれだけ憂いても終わってしまえば後の祭りです。目先のことに怖がらずに、もっと先を見据えて「自分が本当に目指しているのはどこなのか」を考えて思考を改めるべきです。実際昨年の僕はこれで緊張することなくぐっすり寝られたのでこの効果は実証済みです。ちなみにこんな偉そうにモノを言っている僕の昨年のセンターの出来栄えはこちら。
まあセン利で入試を決めようとしている人はそんなことも言ってられないと思います。特に私文はボーダーがインフレしていますから、少しのミスも許されない状況でしょう。
けど大丈夫。あなたはこの1年間、折れそうなときもあったけど、いろいろな誘惑に耐えながら勉強を続け、自己研鑽を積み重ねてきました。入学試験に立ち向かうのに実力が足りているとは到底言えなかった昨年の自分とは、目を見張るほどちがう。昔の自分が小さい…!
そう思えるように努力してきましたか?
現行の制度で最後のセンター試験。何が起こっても変じゃありません。けど、どんな傾向にでも対応できる実力と覚悟を身につけてきたみなさんなら怖いものはありません。
今のみなさんが持つすべての力を遺憾なく発揮できるように
みなさんが今年の春に笑顔でいられるためのキッカケをつかめるように
私わいあーるは、願っております。
いよいよそのときです。輝かしい3月を迎えるための大きな第一歩。
全力で戦ってきてください。また近いうちにお会いしましょう。
P.S.
冒頭に書いた「試験のときに決まってカレーを食べるルーティン」について詳しくはこちらの記事をご覧ください。
ポケダン空のふぶきのしまのBGMをきくと入試の日を思い出すな
— わいあーる (@YR_UTokyo) 2019年10月12日
Twitterやっています。最近は質問箱の回答をするだけのbotと化している気がしますがよければフォローしてくださいこれからきちんとツイートします。
高校同期から刺激を受けたって話
実に3ヶ月ぶりの更新となってしまいました。いかがお過ごしですか?
ブログで書きたいことはたくさんあるのですが、それらが下書きからなかなか出てきてくれません。あとで書こーと思って閉まったまま、手をつけられていないようです。鉄は熱いうちに打て、ということわざが身にしみるこの頃です。お仕事として、それに授業内では文章を書いているのでなまっているわけではないです。
さて、今回はその熱い鉄をさっさと打ってしまおうという意気込みで書いているのでおそらく公開されると思うのですが、しばらく会ってなかった高校同期と先日久しぶりに会って、そこそこ刺激を受けたことがあるので指を動かしているという次第であります。ちなみに内容的にはいつもだったら「である文体」で書くようなものなんですが、久しぶりにブログに書くのでやわらかさを意識して「です・ます文体」で書きます。
まずはその刺激を受けた高校同期について紹介しないと始まりませんね。
彼は早稲田大学に在学していて、一緒に浪人したので同学年です。言い方が悪いですが割と派手に遊んでいて、入学したてのよちよち歩きの僕に遊び方をいろいろ教えてくれた人です。まあこういう言い方をするとただの遊び人にしか見えませんが、実は将来に対する意識も高くて、金回りなどに関する本を大量に読み漁り、早々にインターンにも興味を持ち強い意識を持って日々行動している人物です。
彼には特に大学に入ってから、会うたびにいろいろな刺激を受けてきました。先述した遊び方の話もそうですし、バイトの稼ぎがすごいのに節制が上手くて貯金がたくさんあることなど、いろんな観点からつくづく「コイツ生きるのがまじで上手いな」と思わされます。
死ぬほどテキトーではありますが紹介はこのへんにしといて、今回なぜ彼のことをブログにしたためようかと思ったかというと、その彼から受けた刺激の中で、ひとつとても深く考えさせられることがあったからです。
それは「なにか熱中できることを見つけなきゃな」ということについてです。
最近僕はなかなか怠惰な生活を送っていて、授業に出るかバイトするかサークルにいくか家でYouTubeを見るかの行動しか取ってないといっても過言ではないくらいに日々目的意識を持たずに行動しています。
その生活に甘んじながらも薄々これじゃいけないと思い始めていて、先日ちょうど彼とあったときにインターンの話になって「浪人中に気づいたけど俺やっぱなにかやってなきゃ生活がダメになっちゃうんだよね、だからインターンに応募するのもアリだと」と言い始めて、たしかにそうだなと強く共感したのです。
言い換えれば、浪人中は勉強という使命があったから生活にハリが出ていた(ハリすぎたときもあった)けど、大学に入ってそのハリがなくなってしまい、↓の浪人中の記事とは対象的な「メリメリ」の状態になっているのです。
いや、厳密に言えば、熱中していることはあります。
友達としゃべったりお酒を飲んで騒いだりするのはめちゃくちゃ楽しいですし、サークルの友達とサークルの活動内外で交流するのも好きですし、特にバイトは(どこで働いているかは後ほど記事にしますが)すごく熱中していて、どんどん上手になりたい、お店で活躍できる人に成長したいという気持ちは強く持っています。
僕が書きたいのは「将来に向けて意識高く行動する気力がわかない」ということです。
その高校同期もそうですが、意識高く行動している人が周りにけっこう多いため、自分もなにかやらなきゃ(けどその気が起きない)と葛藤しているのです。
じゃあそいつらの真似して無理やりどこかに応募してみればいいじゃん!やる気が起きないなら、読書するなりして自分の世界を広げてみればいいじゃん!
どこからかそういう声はきこえてくるのですが、イマイチその気になれないのです。遊びやバイトの中でのことなら、初見のことにも興味を持っていろいろ新しい挑戦ができるのですが、それがいわゆる「意識高いこと」になると急にやる気が出なくなります。参考までに、僕の中で「やらなきゃと思ってるけどやる気が出ない意識高いこと」は、インターンとかプログラミングとか、将来どういうふうにお金を稼ぐかを見据えてやる勉強です。
というかそもそも、いまのうちから将来に向けて準備をしておく必要はあるのでしょうか?単位と点数をそこそこ取ってそれなりに自分でお金を稼いでも、遊んでいるだけじゃダメなのでしょうか?意識高く職業について具体的なビジョンを立てる必要があるのでしょうか?まだ大学生より先の経験をしたことない僕にはそこんとこがよくわかりません。
もちろん大学1年生のときから考えて行動しておけば将来のアドバンテージになるのはわかります。ですがそもそも将来に対するビジョンが全くないので、どういう準備をしたらいいのかわからないのはもちろん、仮にわかったとしてもそれを実行するやる気はないと思うのです。
一度自分なりにこれについて答えを出したことがあります。
全然関係ない話ですが、最近けっこう「お前彼女いないの?or 作らないの?」という質問をされることがあります。結論から言うといませんし作る気もそこまでありません。
こう返答すると「スカして彼女いらないとか言って世俗を達観してる感を出してるけどただモテないだけのカス」という鋭いご指摘をいただくことが多いのですが、これに対して反論するために僕はMr.Childrenの「名もなき詩」という曲の歌詞にある「愛は…気がつけばそこにあるもの」というフレーズをよく使います。
原曲の意味からは少しズラして都合のいいように解釈して、別に彼女は作ろうとして作るものじゃなくて、気づけば好きで彼女にしたい女性がいるものだ、と言うのです。
話がそれたように感じますが戻しますと、先ほどの自分なりの答えはこれに似た感じで「別に無理に意識高いことをしようを思っていなくても、本当に面白いと思ったことに出会えれば自然と行動するでしょ」というものです。
しかし改めてこれを記事に書いてみて、これで本当にいいのかな、と思い始めています。が、まあ知りません。たぶんいい気もしてきました。いまはあまり悩むことなく楽しいことをして好きなように遊ぶと思います。
なにか熱中できていることといえば、遊び、バイト、文章を書くこと、くらいです。いまのうちはこれを全力で楽しみたいと思います。いままでそこそこ真面目にがんばってこの大学に入ったわけですし、その反動かは知りませんが周囲の人に害を及ぼさない範囲で羽を伸ばしていてもいいんではないでしょうか。悩むだけ時間のムダかもしれませんね。
以上です。
浪人ブログとは違って「後の人のために書く」という意識が全くありませんので、いわばオナニーのごとく、自分の書きたいことだけを思うがままに書くブログにしたいと思います。心を動かす文章を書くためのコツは、書き手の心が動いていることである。という名言を信じて指を動かし続けます。
つたないブログになりますが、ご笑覧くだされば幸いです。
どうやらしばらく更新していなかったため東大生ブログランキング から削除されてしまったようです。まあどっちでもいいですが、一応再登録しといたので上のリンクから、お時間あれば5秒くらい頂戴して投票よろしくお願いします!
ではでは次の更新でお会いしましょう!
入学から夏休みまで何をしていたか(勉強・サークル編)
こんにちは!わいあーるです。
数週間ぶりの更新となりましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
大学生活は人生の夏休みという言い回しが有名ですが、僕は今その「人生の夏休み」の中の夏休みを満喫しております。
ハッキリ言って最高です。
冗談抜きで自分の好きなことだけをして生活しています。東京でニヤニヤしながら歩いている大学生がいたらたぶんそれは僕です。夏休みが楽しすぎてあふれる笑みが止まりません。
この記事では、そんな天国のような生活に突入する前に、私わいあーるが大学で何をしていたのか
東大生っぽく言い換えれば「Sセメ中に俺がやっていたこと」を書こうと思います。
※「Sセメ」とは?
東京大学は4-7月の学期を「S(Spring)セメスター」、概ね10月から2月までの学期を「A(Autumn)セメスター」と呼んでいます。つまり1年生のSセメスターは、大学に入学してから夏休みに入るまでの学期を指します。
ちなみに、( )内のSpringとAutumnという単語はあくまでも僕が「SとAってこの頭文字じゃね?」と勝手に予想してつけたもので、東京大学が公式に発表している呼び方ではありません。したがって間違っている可能性がありますが「春学期」「秋学期」という言い方があることを考えると、おそらく合ってるんじゃないかという自信を持てる当て字だと思います。
本当は1つの記事にして出そうと思っていたのですが、異常な分量になってしまったため、本記事は「勉強・サークル編」とし「バイト・その他編」を別の記事にして投稿いたします。
①勉強面
Sセメ中は大して勉強しませんでした。
強いて言えば線形代数はシケ対(試験対策の略。東京大学は、クラスの中で科目毎に定期試験の対策をする役割を学生主体でクラスメートに割り当てる文化があり、シケ対に任命されると、過去問の答えや小テストの解答・解説などを共有したり、試験対策プリント(略してシケプリ)を作ったりする。つまり僕は、線形代数という科目の試験対策をする役割になったということ)だったのできちんと授業に出て、放課後図書館に残って授業の復習を軽くしていました。
あっあと、スペイン語は各課が終わるごとに小テストがあったので、一応きちんと復習して小テストで死なないようにしていました。
しかし、Sセメの真ん中あたりで体調を崩し1週間丸々講義を欠席したら一気にスペイン語に置いてかれてしまって、そこからなぜか図書館にこもって勉強する気がなくなってしまったのですが。
あとは授業中に出された課題はなんとか提出日以内に出せるように適当に勉強してた、という感じですかね。
これだけきくと「こいつテストヤバくね?」と思われる方もいらっしゃると思います。
なぜなら東大理系の1年生は、だいたい必修が23単位くらいあって、日々少しずつ復習とかしていないと普通なら明らかにテスト前に詰み状態になるビジョンしかないからです。
まあ予想のとおり、僕は自分が当初取ろうと思っていたテストの点数(経済学部進学に必要な点数)にはギリ届かない程度のテストの手応えになってしまい「Aセメはもう少しコツコツ勉強してテストをオーバーキルできるようにしとかないと」と反省させられているのですが
それでもおそらく単位は来るんじゃないかってくらいの出来だったと思います(これで落単してたら発狂)。
全然勉強してないように見えるのになんでコイツ単位は取れるの?と憤りを感じた大学生の声が聞こえてきたので一応コメントしておきます。
大学の講義は、正面から向き合って真面目に勉強して単位を取るのがもちろん正攻法ですが、過去問を手に入れるなどシケ対を上手く活用すると、そこまで労力を注がなくても単位を取れるようになる道がある可能性があります。
つまり「ずる賢く生きることが可能なシステムになっている」ことがあるのです。
ぶっちゃけいいますが、大学の講義でやることはけっこう難しい(特に東大はイキって他大学よりも講義の進みが早い)ので、正面からぶつかって勉強するとかなりのコストを要します。
たしかに学問に誠実に向き合えば得られるものは非常に大きいのでしょうが、正直学問を追究すること以外にもいろいろやりたいことがある!という人が多いのではないでしょうか。
遊び、サークル、バイト、インターンなどなど…
大学でアカデミックにどっぷり浸かって、将来は高度な研究・開発がしたいという人はもちろん今のうちから学問に足を踏み入れたほうがいいに決まっています。
しかしそうでない人がガッツリ勉強をしても、正直非効率であると僕は思っているのです。
これは僕が好きなゲーム実況者の雑談動画なのですが、実況者さんが動画内でおっしゃっている通り「大学生活には、負担を減らせるように上手く生きることのできる逃げ道がある」と思うのです。
過去問、シケプリなどを活用すれば、普通の半分くらいの労力でなんとかなるかもしれません。その分の時間を、他のもっと有効なものに使うほうが効率的です。
(東大はクラス単位でこういうシステムが整っているので楽ですが、大学によってはサークルなどの縦の繋がりを利用して過去問を入手したり、友達と役割分担をして試験対策をしたりという手が必要になるかもしれませんね)
僕はこういう方法を駆使して、授業に1回も出ていない、自習も全くしていない科目の試験をなんとか耐え(たつもりでいる)、いま夏休みを迎えています。
つまりなにが言いたいかと言うと、勉強以外にもいろいろやることに時間を回していたので、勉強面については特に書くことがないということです。
ちなみにこれだけイキって話をして単位を落としていたら非常に恥ずかしいので、落単したらこの記事は削除しようと思います。9月に入ってこの記事が消えていたらそういうことなので、温かく見守るなりディスるなり好きにしてください()
②サークル
僕は高校のときからテニスをしていたので、東大のテニスサークルに入りました。
上野千鶴子氏が入学式で言っていた「東大女子が入れないテニスサークル」です。
僕はこの辺の議論に全く参加する気はありません。自分のサークルに東大女子がいないことについて、正しいことだとも間違っていることだとも思っていないからです。つまるところこのことに関して全く興味がありません。興味がない、とタイピングすることすらムダに感じるくらいに興味がありません。
で、そのテニスサークルの話に戻しますが、イベントはけっこうたくさん参加しましたし、練習も都合がつくときは極力参加しました。
夏休み中にもイベントはそこそこあります。都合の良い日はきちんと参加するつもりです。
ぶっちゃけて言うと大学に入ってから徐々にテニスに対する熱が冷めてきたので、練習は運動不足を解消する程度に参加すると思います。あと無性にテニスがしたいとき(練習場所まで1時間半から2時間かかるので滅多にそんなことにはならないと思いますが)。
まあでもけっこう楽しくサークル生活を送れるように最近やっとなってきたかな、という印象です。最初はあまり仲良くありませんでしたが、時間が経つにつれて同期の男子にも面白いやつがいることが分かりましたし、女子もみんなかわいくていい人なので…
こちらの記事には「東大に限らずいろんなサークルの新歓に行って人脈を広げたい」と書きましたが、一応人脈を広げてみたものの、性格上広く浅い関係を保つことが無理(狭いかどうかには限らず深い関係でいたい)なので、いまアクティブに活動しているサークルはそのテニスサークル1つだけになります。
「勉強・サークル編」は以上でございます。
実はこの記事の勉強面に書いたことは、受験終了直後のこちらの記事で書いたこととほぼ同内容になっています。
受験終了直後に得た大学生活の過ごし方のコツを、大学生活を実際に経験して実感しているということでいいんでしょうか。
このように、浪人中に経験したことが大学生活に入って役立っていることがけっこう多くて正直びっくりしています。
以前はプライドが邪魔して「浪人してよかったとは絶対に言わない」なんてトゲトゲしいことを言ったり書いたりしていましたが、いまはもうそういう下らないプライドなんか捨てて「浪人してよかった〜」と思いまくっています。過去の自分ごめん。
では、この記事はこの辺にしますが、次の記事の特に「バイト」の項目は、めちゃくちゃ熱量を入れて書いているのでぜひ多くの人にお読みいただきたいです。それだけ今のバイト先が好きで、そこに込める思いが強いからです。
ではまた次の記事でお会いしましょう!
テスト終わったーーー!!!!!!
— わいあーる (@YR_UTokyo) 2019年7月31日
やったーー!!!!!!!
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出る杭は打たれる
諸事情により既に非公開にしてしまったが、このブログで一番最初に書いた記事のタイトルは「わいあーるの小さな美学」というものであった。
その記事に書いたものとは「似てるけどどこかちがう」ものではあるが、もうひとつ美学(というか好きなタイプ?)がある。それは
普段ボケっとやる気なさそうにしてる人が本気出したらめちゃくちゃ仕事できるのすごくかっこいい
というものである。
どこか中二病の臭いが漂う趣味ではあるが、そのような人に出会うたびに「ああこんな人になりたいな」と思っている。
最近では、たまたま用事があって降りた駅のコンビニの若い男性店員がこのような人間だった。
僕が入店してかろうじて「いらっしゃいませ」と発音してはいるのだが、声がボソボソすぎてそれが「エアロ・スミス」に聞こえなくもないというやる気のなさを見せつける。
そのときはお昼時で、僕が弁当を選ぶのに苦戦していると、どんどん客が店内に入ってきて、あっというまに3つのレジに長蛇の列ができた。
弁当を片手に適当に列に入ったのだが、どうも自分の列だけ回転が異常に早い。
見ると、レジ打ちの主はあのエアロ・スミスの男の人であった。
「アラン・ドロン不在でした」とボソボソ声で言いながら(たぶん彼は「ありがとうございました」と言っていたのだと思う)死にそうな目でレジを打っているのだが、レジを打つスピードは稲妻と見紛うほど速く、電子レンジから弁当を出し入れする所作、商品を袋に詰め箸やスプーンなどを添える流れに少しの無駄もない。
こちらの記事にも書いたような「ギャップ萌え」というほどでもないが「この人すげえな…かっこいいな…」と思ってしまった。
話が大きく逸れたが、このボケっとしてる人が本気を出すと…という趣味を少し発展させると、次のようなよくある美学に話を広げることができる:
努力は人に見せるものではなく隠れてするものだ
詳しく説明すると、ボケっとしている人は努力を隠れた場所でしているから(天性の才能である場合もあるが)、普段ボケっとしていても本気を出せばハイスペックになるということである。
これは僕の中で最も大きな美学で、例えば体力をつけるためにランニングをするときは絶対に夜遅めの時間(21:30以降とか)に近くの運動公園に行くだとか、バイトの研修で上手くいかなかったところは営業終了後に人が少ないところで密かに練習するだとか、僕の日常生活の色んな部分の行動を決定する要素になっている。
というか、どちらかというと、隠れて努力をするのがかっこいいと思っているのではなく(その結果動きがよいという事実はかっこいいと思うが)、人前で努力をするのが恥ずかしいと思ってしまう。
その努力が失敗を伴わなくても(実際にランニングに失敗などはない)、人前で一生懸命なにかに打ち込んでいるとか、集中してがんばっているとか、そういう行動を見られることに対して恥ずかしいという感情を抱いてしまう。
しかしよく考えれば、そういった努力は決して悪いものではないし、人に見られてもいいもので、見てくれた人はむしろ「おつかれさま。えらいね、がんばって」などと応援してくれるだろう。
なぜ僕の中に、このような「意味不明な」美学ができあがってしまったのだろうか。
その答えが載っているツイートが先日僕のタイムラインに流れてきた。
これ経験上、貧困地帯の公立中学がまさにこれで努力家がなじられイジメっぽくなっていたのに対して、高校で私立お嬢様進学校に行ったら全員貪欲でフルパワー努力マンの戦場だったので、「負け組の暮らしと勝ち組の暮らしで二分される物」な気がしています… https://t.co/Pgv2MSxnZj
— Hina Nakashima (@hina) 2019年7月21日
「全員貪欲でフルパワー努力マン」という言葉を見て僕は冗談抜きで驚いた。
何を隠そう、僕は小学校中学校ともに受験をしなくても入れる地元の学校を卒業していて、僕の住んでいた地域は生活水準が比較的低く(僕の家も家賃数万程度の市営の集合住宅でした、いまは引っ越しましたが)、噂によれば選挙の投票率は20%台、俗に言う「ヤンキー」もけっこう多かったという地域であった。
「貧困地域」といってもまあ許される程度の場所で、(その地域だけが学区ではなかったが)そのような生活水準の生徒たちが集まる学校であった。
特に中学校で常にトップの成績を僕は取り続けていたのだが、先ほどのツイートにある「努力家がなじられイジメっぽくなっていた」というのは実際僕の身に降り掛かっていた出来事とほぼ同じで、トップの成績を取っていたことをバカにされ、肩身の狭い思いをしていたということは否定できない。
授業で発言すればクラスの1人が「ああーすげえなすげえなー」とたっぷりの皮肉をこめて言われ、周りもそれに同調しているという雰囲気である。
「出る杭は打たれる」という日本特有の風潮の、最も分かりやすい例だと僕は思っている。
別にそのようなノリがあることは完全悪だとは思わない。
やられていた僕側の意見だけを反映させるならそれは純度100%の悪であるが、やっていた側は、いい成績を取っていたことを別にそこまで本気で憎悪の対象とみなしているわけではなく、いわゆる「軽くイジっている」くらいの気持ちで声を出しているのだろうから、絶対にあいつらが悪いと大声を出して言うようなものではない。
しかし「出る杭は打たれる」という言葉を聞いたときに、けっこう多くの人が悪い印象を抱くというのは事実であろう。
「日本人はシャイだ」「同調圧力」「みんなが持っているから私も持たないと置いていかれる」
集団の流れに乗ることはたしかにマジョリティに属する安心感を得られる要素であることは間違いないし、日本が鎖国していて国の文化に大きな変化があまりなかったなど、考えればそれなりに言い訳紛いのものを思いつくことはできるが、先のツイートにあった「経験的事実」がこの国の悪しき風潮に寄与していると言うのは、決して言いすぎたことではないのではないだろうか。
エゴでない自己主張がすんなり受け入れられる、なにかにひたむきに一生懸命になっている姿が周りから認められやすい、そんな雰囲気の社会に住めていれば僕の苦労も軽くはなっていたのかなと思うこの頃であるが、「住めば都」という言葉もまた皮肉なことに事実であって、いまの社会に慣れきって日々行動をしている自分が、間違いなくこの世の中に存在している。
モヤモヤが消えない人もいらっしゃると思うので説明しときますが
いらっしゃいませ→エアロ・スミス、ありがとうございました→アラン・ドロン不在でした
の対応については、こちらの動画をご確認ください。
いちいち論理的にしゃべると女子に引かれるってきいたからテスト勉強せずに毎日YouTube見て脳みそ溶かしてる
— わいあーる (@YR_UTokyo) 2019年7月16日
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何者にもなれない自分がいる
大学に入り、広い広い東京という都市に投げ出され、自分の方向性を見失いつつある。
アイデンティティの喪失である。
新たなコミュニティに属し、実に多様な人々の荒波に揉まれる中で、他人が持つ自分にはないものに憧れ、うらやましがり
自分にはないものを持つ他人と、それに対して何も持たない自分を比較しては自分を憂い、いまの自分の無力さを嘆く。
他人から抜きん出るものを持ち合わせられず、東京にいる大勢の人にのまれて「自分は何者にもなれていない」という感情に苛まれる。
もとい、自分の自分らしさを上手く発揮できていない自分がいるとも言える。
自由度が高かった男子校を卒業したことも影響しているのか、自分の言動が一般社会での今の状況に相応しいものなのかを考えすぎるあまり、自分の素直な発言を自己検閲してしまっている自分がいる。
直感的に出てきた言葉でなく、自分の理性というフィルターを通って、つまり2回3回と遠回りをして出てきた言葉をしゃべり、ありのままの自分がありのままに話をしている感覚が消えている。
だれにも分からないところで取り繕った自分が言葉を話しているという感覚が、自分らしさの喪失を招いている。
自分の自分らしさを見失い、他人に何者とも認知されていないと感じると、人間の根源的な承認欲求に基づいて、自分を無理に大きく見せる言動を取りたくなる。
少し見栄を張ってウソの経歴を言ってみたり、小さな出来事でさえも他人にひけらかすように話してみたり。
こうして根本の承認欲求に突き動かされても、頭のどこかで理性は働いていて「ここで自分語りをしても面白い会話にならない」「ウソなんかついて何になるんだ」と第三者視点から野次を飛ばしてくるマインドが存在し、その声にまた自分を必死に取り繕っている惨めな自分の姿を思い知らされる。
とは言ったものの、そこで「じゃあ自分はどんな人になりたいの?」と問われても、答えは出てこない。
他人から卓越した自分を理想としているのは確かだが、どんな点で卓越したいかが明確にならない。
どんな点かは分からない。そのためにどうすべきかも見えない。
とにかく、自分を自分たらしめる何か、アイデンティティがほしい
「一般の人」から抜け出し、自分が他人とは区別されて周囲に認められるものがほしい
会う人々がそれとして認知してくれる「何者か」になりたい
近頃、そんなことを思いながら生活を送っている。
久しぶりにちょっと病みっぽい記事が…
— わいあーる (@YR_UTokyo) 2019年6月17日
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