とある東大生の脳内をのぞく

こういうこと考えてる東大生もいるんだなあ

君の名は。からよく分かる「ギャップは最強」という事実

 

【注意!!!!】

この記事には、映画「君の名は。」のネタバレが入っています。けっこう致命的ですので、君の名は。をまだ見てないけど見てみたいという方は、そっとページを閉じて次の更新をお待ちください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は僕は、極めて熱い「君の名は。」ファンである。

 

映画館で4回、地上波やブルーレイで4回、合計8回はその映画を見ている、言うなれば引くほどのオタクである。

 

 

僕は東京に強いあこがれを持っている地方出身の田舎者であるので、作中の綺麗な東京(特に新宿、それに東京タワー方面の高層ビル群)の景色を見ては「本当の景色をずっと肉眼に収めていたい」と思う。

 

 

そしてなによりヒロインの三葉が非常にかわいい。

 

入れ替わった生活に翻弄される姿や、健気に東京へのあこがれを叫ぶシーンもあり、とても愛着がわきやすい、思わず好きになってしまうキャラクターである(個人的には上白石萌音さんの声も神だと思います)。

 

 

これ以外にも「君の名は。」の魅力を語り始めると1億字をゆうに超えるのでこのあたりでとどめておくとして、作中に次のようなシーンがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

入れ替わっていない状態の瀧が、隕石によって半分以上が消滅した糸守町を訪れたとき、宮水神社の御神体に捧げられていた三葉の口噛み酒を飲む。

 

飲んだ後に足を滑らせた瀧は、三葉の過去(誕生から隕石の被害に遭って亡くなるまで)を走馬灯のように見る。

 

その中には、三葉の幼少時代として、妹の四葉が誕生して数年後に母が亡くなったこと、その心労もあってか、婿養子である父が祖母の一葉と神社の後継ぎを巡って口論し、絶縁に至ったことが描かれている。

 

 

 

 

 

 

 

このシーンをご覧になって、みなさんはどういう感情に至っただろうか?

 

あんなはつらつとしていた三葉の暗い過去を見て意外だった、お父さん婿養子なんだからおばあちゃんに従え、集落再生事業の継続!!!!!そのための町の財政の健全化!!!!ヒェァ!!!!!など様々な声が聞こえてくるが

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は「三葉により近づきたい」という気持ちに至った(なにこの人気持ち悪い)。

 

先ほども出た「あんなはつらつとしていた三葉の暗い過去を見て意外だった」という声がそのまま僕の印象なのだが、そこを通過して「近づきたい」と思ったというか、三葉のことを「より」好きになったのである(なにこの人気持ち以下略)。

 

 

 

ここにどんな要素が隠れているかというと「三葉のギャップに萌えている」ということである。

 

これはこの映画に限らずリアルな世界でも起こりうることであるが、意中の人の暗い過去(両親の死別・離婚などいわゆる「複雑な事情」)をきいて、その人に親近感を抱いたというか「その人の暗い過去も合わせて受け止めてあげたい」「その人を守ってあげたい」という感情を抱いたことはないだろうか?

 

僕が本気で三葉のことを好きであるわけではなく(まあ現実世界にあんなのいたら僕の組紐も伸びて絡んで繋がっちゃいますけど)単に愛着が湧いているに過ぎないが、そういう人の暗い、人には見せたくない場面を見ると、どうしてかその人に対する愛着が深まる。

 

 

 

 

この例からよく分かるが、ギャップというのは最強のテクニックである。

 

普段クールな人が自分の前でだけ甘えてくれようものならもうそれは間違いないが、他にもいろいろな形でギャップというのは人を恋に落とすし、人の恋を加熱させる。

 

 

例えば、普段あまり口を開かず物静かで自己主張しない人が実はスポーツが大の得意であったとか、完全無欠で非の打ち所がない高嶺の花のような人が実は虫が苦手だったとか…

 

 

恋に落とす、とは言いすぎかもしれないが、確実に既にある恋心を勢いづける役割は担っているだろう。

 

 

 

しかしギャップ萌えというイベントを発生させるには、相手に悪い印象を抱かれていないことが絶対条件になる。

 

なぜならキモい人が自分の前だけ甘えてもキモいとしか思わないし、無口な陰キャがスポーツ万能でも「けど陰キャだから…」となるし、欠点はないけどそれでマウントを取ってくるやつが虫を見て騒いでいても「かましいわお前にも殺虫剤かけたろか」となってしまうからである。

 

 

 

発生させる条件はやや厳しいが、それを乗り越えてギャップ萌えを上手く活用できるようになれば、恋に忙しくなる生活が来る可能性は極めて高いだろう。

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに僕は三度の飯よりショートカットの人間ですので、三葉が髪を三つ編みにして上に持ってくのを見て毎回ガッツポーズしてますし、三葉がバッサリ髪を切ったときはもう僕のティアマト彗星もただひたすらに美しい眺めだった。

 

 

 

 

 

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反抗期

 

 

僕の身内の1人が、ただいま絶賛反抗期である。

 

親の言うことひとつひとつにいちいち反抗し、それにイラついた親も臨戦態勢で会話を続ける。

 

 

子供が反抗期に入ると親はだいたい「うちの子もう反抗期がすごくて…」などと友達に愚痴り、なぜかあたかも反抗期に入って気が立っている子供が全て悪いかのような扱いをすることがほとんどである気がする。

 

子供が全て悪いかのような扱いとまでは言わなくとも、もう一つ例をあげるなら「反抗期は年頃の子には付いてまわるものだから、多少は反抗されても仕方ないよね、我慢するしかないよね」のように、どこかその責任を子供に押し付けるような態度がある。

 

 

しかし、それは本当にすべて子供側の問題なのだろうか?

 

反抗期には、親と子のどちらかだけで成立するのではなく、親と子どちらもいて初めて子供側に起こる現象なのだから、その責任を子供だけに押し付けるのは少し早とちりである気がする。

 

それではここから、僕がその身内と親との会話を聞いて思ったことを述べ、適宜外部の情報を参照しながら、反抗期について少し考察してみたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

「反抗期」でネット検索をしてみると、コトバンクでは次のように解説されている。

 

精神発達の過程で成熟に先立ち,他人の指示に抵抗を示したり他人との社会的交渉を退けたりして拒否的態度や行動を示す期間をさす。幼児期に親の指示に反抗したり強情を張ったりする時期を第1反抗期,青年期の初めないしそれに先立ってふさぎ込んだり,また人に逆らって乱暴したりする時期を第2反抗期と呼ぶ。

 

そもそも反抗期には、幼児期のものと青年期のもので2つの種類があるようだが、まえがきの雰囲気からも分かるように、ここでは青年期の反抗期について考えることにする。

 

この解説の中にある「ふさぎ込んだり」という文言については、リビングなどの共同生活の場所におらずに自分の部屋にこもっていたり、親に論破されてふてくされていたりする子供のイメージのことであろう。

 

 

僕の体験談に戻るが、僕の身内とその親の会話のうち戦が始まってしまったときの会話をきいていると、子供から会話を始めることはほとんどなく、親が言ったことに子供が反抗、それに親が逆上ししょうもない戦いが始まるという流れをだいたい取っている。

 

 

 

 

さて、ここで着目すべき点は、大体の場合が大人から会話を始めているという点である。

 

たしかに子供から話しかけて会話が続く中で子供がキレはじめるというパターンもなくはないが、そもそも反抗期中の子供は(上の「ふさぎ込んだり」のところにもあるように)基本的に家で会話をしたがらないので、反抗期の子供との会話は親から始まることが多いと言える。

 

 

加えて、親がはじめる会話は主として「いやそれって別にきかなくてもよくね?」と思う質問だったり「それ子供1人でもできるから言わなくてもよくね?」というものが多い。

 

例えば「明日の遊ぶ予定って何時からなの?」とか「寒いから歩きじゃなくて車で送ってこうか?」など。

 

それが親の子供を思う心だ、ということは理解しているが、どうも反抗期の子供にとってはそれがうっとうしいらしい。

 

 

ここで、先ほど載せたコトバンクからの引用にある「…成熟に先立ち、他人からの指示に抵抗を示したり…」ということに着目する。

 

具体的な核心に迫るには少し論理の飛躍が気になるところではあるが、まずはこの2つの要素から、少なくとも「反抗期は子供だけのせいではない」ということは分かる。

 

親が、いわゆるお節介のような内容で会話を始めることにより、子供がそれに抵抗を示すということなのであるから。

 

 

 

 

そして、その抵抗に基づくものはなにかというと

 

子供の「自立したい」「大人だと思われたい」という気持ち

 

であろう。

 

 

親は、子を思う気持ちに依存して子を手助けするような言動を取るが、その言動は「自立した大人だと思われたい」という子供のある種のプライドのようなものに触れて反抗する。その反抗に対し親は「思いやって言ったのにその態度はなんだ」となって開戦する。

 

 

この、子供の自立したいという気持ちに対する理解の欠如は思ったより多い。

 

この気持ちに気づかない親のエゴが、反抗期の子供とその親の終わりなき戦を生み出す原因のひとつだと言ってもよく、反抗期を頭ごなしに子供に押し付けていると、このループから抜け出すことはできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし仮にそれを理解できていたとしても、たいていの親は、大切に育ててきた子供が自分から離れていってしまう寂しさのようなものに駆られ、分かっていてもまたお節介をしてしまうものである。

 

10年以上、まだこの子が目も見えず、記憶さえままならず、自分にぴったりくっついて温もりと栄養を求めて泣き叫ぶことしかできなかったときから宝物のように見守ってきたのに、その子が自分から離れることを選ぼうとしているのだから、相当の精神力、子育てに対する理解がなければ受け入れられない現実だろう。

 

 

だがいつか、現実を受け入れられないで足踏みしている自分を優に追い越して成長し、そんな親の気持ちを子が理解するようになり、その成長を目の当たりにした親は「この子はもう本当に自立していくのか」と思い知らされ、寂しいながらも我が子の巣立ちを陰から見守る。

 

 

たくさんお節介をかけたから、たくさん反抗されたからこそ理解は深まるのであり、そういう点で反抗期は意味があるものになる。

 

 

 

そして逆説的ではあるが、反抗的な態度を取っている子供は、親から発せられるうっとうしい言葉を理解するために、君に対する親の感情を知っておいてほしい。

 

親はわざわざ余計なことを君に言ってくるが、それは親が君のことを大切に思ってくれていることの裏返しである。

 

外出している間に掃除されている部屋、畳まれた洗濯物、産まれてからずっと食べてきたご飯の味。

 

親の愛はこうして目に見える形だけに出るとは限らず、ときにはお節介にも、ときには邪魔にもなりうるような見えない言葉にも表れる。

 

経験を積んで本当に君が自立したとき、そして家庭を持って子を授かったとき、必然的に、というか嫌でもその気持ちを知ることにはなるが、君を思ってくれる親の存在が今もたしかにそばにあるのだから、それは一足先になってもよいのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【5月祭】新元号は「タピオカ」です。@正門横1

 

 

こんにちは!わいあーるです。

 

 

今回は、勉強法の記事の前に5月祭の宣伝です!

 

今まで隠していましたが、僕は理科一類13組に所属していて、5月祭では

 

元号は「タピオカ」です。

 

という店名で、タピオカドリンクを販売します!!!!

 

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場所は【正門横1】というところです!(以下の地図参照)

 

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この↑地図の黒丸のところあたりにお店を出しています!

 

売るものは、ずばりタピオカドリンクです!!!!

 

味は

 

いちごみるく

・ミルクティー

・紅茶ストレートティー

・ほうじ茶ラテ

・オレンジジュース

・カルピス

 

の5種類です!幅広い層のお客様に楽しんでいただけると思います!

 

 

気になるお値段ですが

 

1杯250円(タピオカ2倍は+50円)

 

という、文化祭らしい破格設定になっています(笑)懐が痛い

 

しかも、安いからといってチンケなドリンクを販売するのではなく、きちんと1杯360mlのカップに入れてご提供します。

 

360mlは、ゴンチャで言えばMサイズに近い内容量になっています。

 

これは僕たちの飲み物を買って一息つくしかありませんね…!!

 

 

ちなみに僕は、18日はだいたい全日お店にいて、19日は午後ならお店にいます!

 

ぜひお店の店員さんのだれかに「わいあーるはいませんか?」と声をかけてみてください。いればすぐに応対しますし、いなければ少し外しているということなので、また別の時間にお越しください。

 

ちなみに、クラスのみんなにはわいあーるの存在は1人を除いてバレていないので、僕がいないときにわいあーるという名前を出してもみんな「???」となると思います笑

 

 

ご要望があれば、受験のことを含めいろいろお話をする時間を取れると思うので、一般のお客様はもちろん、これから受験をむかえる人も、ちょっと勉強のペンを止めてぜひご来場ください!

 

 

 

明日明後日5/18(土),19(日)に、本郷キャンパス正門横1で、みなさまをお待ちしています!!

 

 

 

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僕の大学生活のビジョン

 

こんにちは。前回の更新からずいぶん日が空いてしまいました。すみません。

 

今回は、というか、ここから何個かの記事は、いつものくだらない僕の考察を書き連ねた内容ではなく「いま東大進学を夢見て努力している人を応援する気持ちで書く」というコンセプトのものを書きます。

 

というのも、この記事を書いている日に「非進学校の東大生が集まるコミュニティ」に入会審査をしてもらい、さすがに僕の高校の実績なら通るでしょと余裕ぶっこいてたら

 

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見事に落選。

 

たしかに私大はそこそこ出してますが、東大はたまたま一昨年昨年今年と3年連続して一人ずつ出ただけでそれ以前は4年に1回とかだし(オリンピックではない)、理系は僕が約10年ぶりですし…

 

個人的には、昨年のミス東大のにちこさんもこの団体の合格体験記に寄稿されてたので、俺もいけるかなあと思いましたが、あれはミス枠だったんでしょうか…

 

 

とにかく、一つの団体から入会を拒否されたので、ヤケクソになって「いま東大進学を夢見て努力している人を応援する気持ちで」記事を書きます。

 

僕がいまのところ書こうとしている記事は

 

・大学生活をどのように過ごそうと思っているのか(いまここ)

・僕の勉強法(心構え編、英語編、数学編、物理編、化学編、国語編)

 

です。思いつきで増える可能性がありますが、とりあえずこの7本です。

 

 

前置きが長くなりましたが今回は、僕が大学生活をどのように過ごそうと思っているのかを書きます。やりたいこと、意識することなど、思いつくことをいろいろ書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、そもそも大学生活って4+k年間、人によっては10年近くあるわけです。

 

長いように見えますが、なにも考えないまま過ごせばすぐ終わってしまう期間だと思います。なぜなら、大学やサークルの友達と遊んでると楽しくて、時の流れがとても早く感じるから。

 

じゃあその長いようで短い生活をどう有意義にしようか?ということを考えて、4月中の僕が出した結論・実際に行ったことはこちら。

 

 

 

①人脈を広げる

 

これは実際にやりました。4月は、いろんな大学のいろんな部活・サークルが新歓をやっています。そこに参加して知り合いを増やすのです。

 

東大生だから東大の新歓だけ、なんてことありません。他大のサークルの新歓や、いろんな大学の生徒が集まるインカレサークルの新歓に行って、幅広い知り合いを作りましした。

 

もちろんその中で本当に入りたいと思えたサークルには実際に入りましたが、新歓に行くだけでも、人脈を広げる以外に、新しい人と話して自分を覚えてもらうという練習になって、個人的に非常に有意義なことをしたと思っています。

 

この広げた人脈がどこで自分に影響するのかなんて分かりません。そもそもそんなことが予め分かっていたら、友達選びでさえもっと意図的になっていたはずです。

 

しかし僕は人と話すのが大好きですし、新しい人のいろんな体験とかすごさとかをきくのも好きですし、人脈は広いに越したことはないと思うので、たくさん新歓に行き知り合いを作りました。名前を覚えるのが死ぬほど大変であることに耐えられれば、ぜひみなさんにもオススメしたい行動です。

 

 

②将来から逆算する

 

早稲田のとあるサークル(飲みサーでした)の新歓に行って出会った早稲田3年の先輩に「できるなら、自分の将来像から逆算して今やるべきことを考えるのが効率がいい」とアドバイスをもらって、たしかにそうだと思いました。

 

行動するなら目標を持ったほうが、その目標が行動に意味づけしてくれて、有意義なものになります。逆説的ですが、その目標をもとにして今の行動を逆算すれば、自ずと意味あるムーブが見えてくるかもしれません。

 

これはまだ将来像が決まっていない僕は上手く実践できていないのですが、将来のことを真面目に考えさせてくれるきっかけになったアドバイスですし、どこかで必ず役に立つと思っています。

 

 

 

 

とりあえず僕が現時点で意識していることを書きましたが、将来像がまだない僕でもやりたいと思っていることがあります。それは

 

留学です。

 

今の時代、正直留学なんてかなりベタです。やってる人なんていっぱいいます。しかし僕が考えているのは、単位交換制度やインターンを視野に入れた留学です。

 

普通の留学は、1年くらい休学して自由の身になり(つまり1年留年して)、語学を習得したり異文化を学んだりなどしますが

 

興味ある仕事に関連した会社でのアルバイト、インターンなども視野に入れ、ついでに単位交換して休学せずに留学しながら学年も上げようかと思っています。

 

普通に留学してもそこまで成長しないと思ったからです。レベルがちがうのは分かっていますが、僕が昨年の3月に浪人を決めたときに「せっかく1年やるならトップのお茶の水校に行っていろんな経験をしよう」と思ったのと同様に「せっかく1年留学するならこの1年に詰め込めるだけ詰め込もう」と思っています。

 

具体的にどうしようかはこれからいろんな機会を探りながら決めていくつもりですが、僕は高2のときにニューヨークとボストンに短期研修に行ったことがあって親近感を抱いているので、できればボストンの大学に行って自己研鑽できればいいな、と思っています。

 

 

 

…という感じで簡単に筆を進めていますが、現実的に考えるとけっこう厳しい事実もあります。

 

まず1つ目に、資金の問題。

 

僕の家庭はそこまで裕福ではありません。大学の授業料も私立大学だったら危なかったくらいで、つまりこの感じでは留学資金はどうにかして自分の力で捻出しないといけなくなります。

 

単位交換制を使うならば授業料は東京大学に納めればよいですからそれは置いといて、置いといたとしても留学には現地で必要な資金など多く見積もって300万円以上は必要なのではないかと思います。

 

学生生活を8割くらいバイトに捧げれば2年程度でこの金額は手に入れられるかもしれませんが、他にやりたいことはたくさんあるので、そこで僕が考えているのが奨学金の給付です。できれば、返還義務のない給付型のもの。

 

日本学生支援機構ではなく、いまは様々な民間団体が給付型の奨学金の募集をしています。

 

僕の家庭事情であればギリギリ出願はできるので、可能性のあるチャンスはすべて掴みに行くという気持ちで、4月中はけっこう出願書類の作成に時間を使いました(それでも出願しきらなかった団体もあります)。

 

実際いまは、とある団体の書類選考に通って、某日に面接を控えている状態です。選考結果発表待ちの団体もあります。

 

といってもこれでも資金はまだまだ足りませんから、別のなにかの機会を探るか、自分でお金を稼いで足しにするということももちろん考えています。

 

 

2つ目に、本当に単位交換をしてくれるのかという問題。

 

というのも、海外の大学は学部4年間が一般教養の授業で、専門的な追求を開始するのは大学院などからというスタイルが多いです。

 

それに対し日本の大学は教養課程は長くても2年まで、3年以降は専攻が始まってしまうのです。こんな感じで、本当に単位は交換されるのでしょうか。甚だ疑問です。

 

 

 

というふうに、ひとくちに留学と言っても考えるべきことはたくさんあります。

 

しかも僕は東京大学での生活も疎かにしたくありません。

 

高校から続けていたスポーツのサークルに入って今はけっこう活動を楽しんでいますし、きちんと授業にもついていけるように放課後は図書館に入って勉強したりしています。

 

留学中は仕方ないですが、これからその準備や、バイトやインターンを始めて仮にそこに熱が入ってしまっても、特に勉強についてはテキトーに流したくないです。僕は理一から経済学部への進振りを狙っていて、それなりに点数を取らなきゃならないので今のうちはなおさらです。

 

 

そうなると本当に無駄なことができる時間って少ないんだな、と思います。

 

大学に入って少し休めるかな、と思っていましたが、そんなことはありませんでしたね。

 

けど浪人中みたいに嫌々走らされている感じではなくて、なにがあるか分からないけどとりあえず楽しそうだから走っている、という感じです。

 

 

 

大学生になると、将来のことはもちろん、自分の身の回りについても自分で考えなきゃならないことが増えてきます(特に一人暮らしをしている人はすべて自分で考える必要がある)。

 

そこで自分のキャパを超えてしまって、何者にもなれない自分をふと考え込んでしまうときもあります。

 

大学生活、楽しいことばかりではありません。新しいことをするには、今まで慣れていないものに順応するために違和感に強制的に触れなければなりません。

 

しかし、その違和感に触れてこそ、新しいことをやろうとしてこそ、楽しいことがたくさん見つかると思います。まずそのためには積極的に機会を掴みにいくことから始まります。

 

自分で動きにいって、やってみて初めて楽しくなります。大学生活の楽しさを決めるのは、結局自分の行動です。

 

 

勉強にサークルに交友にバイトにインターンに留学…どれもこなすのは無理だろう、と言われること間違いなしですが、そんなのやってみなきゃ分かりません。

 

二兎追うものは一兎も得ず、もとい、僕は大学生活でこそn兎追いたいです。そこでなにかが捕まらなかったとしても、追いかけること自体がいい経験になると思います。

 

僕の大学生活、けっこう楽しいというか、楽しくなる予感がします。浪人中に期待していたことが報われるかもしれません。

 

それは結局自分次第ですが、まず間違いなく言えることは、これから大学に進学するみんな、大学生活、期待する価値あるぞ。

 

 

 

 

では今回はこのへんで!次は「僕の勉強法(心構え編)」になります!

 

 

 

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小銭を減らしてお金を貯める方法

 

 

「小銭は金ではない」

 

 

予備校時代の友達が言い放った伝説の名言迷言である。

 

 

厳密には小銭もお金に分類されるものではあるのだが、ここでの意味は「小銭は使いやすすぎて消えるのが一瞬だから、お金とはみなさない」ということである。

 

たしかにコンビニでお菓子を買おうとしたとき、財布の中に100円玉が2枚あるのと1万円札が1枚しかないのでは、後者のほうが「いや我慢しようかな」という思いに至りやすいだろう。

 

この例をもとにすると「小銭が財布にたくさんあると、そうでない場合に比べてお金がなくなるのが早い」ということが予想できる。

 

例えば財布の中に1万円あるとき、それが大量の小銭である場合と1万円札1枚である場合では、圧倒的に後者のほうがお金の減り方は遅いだろう。そもそも前者の場合は小銭が多すぎてどの硬貨が何枚あるか把握できず、残金がいくらであるかがよく分からないため、自分の金づかいの制御が難しい。

しかもなんとなく小銭が財布に大量にあって財布が膨らんでいるとみっともないというか、逆に小銭が少ないと財布もスッキリしてスマートに見えなくもない。

 

 

 

さてここで、上の予想の裏を取ると「小銭が少なければ、そうでない場合に比べてお金がなくなるのが遅い」と言える。

 

しかし、小銭を出さないように買い物をするのは現金社会の日本では無理な話であるから、考えるべきことは、どうすれば財布の中の小銭の数を最小にできるか、ということである。

 

というのは、例えば財布に280円入っていて、その硬貨の内訳が

100円玉×2枚 50円玉×1枚 10円玉×3枚

のときが小銭の数が最小になる状態で、10円玉×8枚とかにはならない。

 

 

こうひとくちに言っても、常に小銭に気を配りながら財布を開くのはけっこう時間がかかることだし、なにより精神的にキツい。

 

それではここで、筆者わいあーるが常に実践している「そこそこ簡単に小銭の数を減らす方法」を書きたいと思う。実際僕の財布の中の小銭の数は、1人でいるときは常に最小である。

(だれかと一緒にいるときは、小銭のことなんか気にせずなるべく早く支払いを済ませる)

 

いきなりそれを書いても少々分かりづらいから、順を追って説明していこう。

 

以下では、いちいち◯◯円玉×△枚と書くのは面倒だから、例えば100*2のように

(金額)*(枚数)という表記を用いる。

 

 

 

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ブタの画像を貼ったが、特になんの意味もない。というかこれでは小銭が多すぎである。

 

 

 

・ステップ1

 

120円の買い物をしたとする。財布の中には100*2と10*2がある。

 

ここで単に100*2を出しても200-120=80で買い物は成立するが

 

220-120=100とすれば、財布の残りが100*1となる。前者の場合は10*10(50*1+10*5も考えられるが大差ないため説明が簡単な10*10にする)となる。

 

このような、端数を合わせて小銭を出すやり方はごくごく普通であると僕は思っているが、ここで少し特殊な考え方を導入したい。

 

前者の場合200-120=80で、10*8のお釣りが返ってくる。このお釣りと財布の中に残った10*2に着目して「10*2と10*8で10*10だからまとめて100*1にできる、じゃあここで最初に出した100*2と一緒に10*2も出せば100*1のお釣りが来るな」という考え方をしてほしい。

 

この考え方を便宜的に「お釣り読み」と呼ぶことにする。

 

ステップ1のような単純な例ではお釣り読みをするまでもなく220円を支払う人が大半であろう。しかしこれは、財布の中と支払い金額が複雑になったときに大きな威力を発揮する。

 

 

 

・ステップ2

 

270円の買い物をしたとする。財布の中には100*3と10*2がある。

 

ここで単に100*3を出しても300-270=30で買い物は成立するが

 

320-270=100とすれば、財布の残りが50*1となる。前者の場合は10*5となる。

 

これも、32-27=5(より簡単にすれば12-7=5)という事実に基づけば、あまり考えなくても320円を支払うことができるが、慣れる意味も含めてお釣り読みをしてみると

 

前者の場合300-270=30で、10*3のお釣りが返ってくる。このお釣りと財布の中に残った10*2に着目して「10*2と10*3で10*5だからまとめて50*1にできる、じゃあここで最初に出した100*3と一緒に10*2も出せば50*1のお釣りが来るな」となる。

 

 

だんだんとお釣り読みの概念にも慣れてきたであろうか。簡単な例をもう少しだけ見て、ステップ4で実践的な例を見てみる。

 

(ステップ2がほぼステップ1のコピペであることに気づいたみなさん、許してください)

 

 

 

 

・ステップ3

 

1,234円の買い物をしたとする。財布の中には1,000*2と500*1がある。

 

このとき、単に1,000*2を出しても2,000-1,234=766で買い物は成立するが

 

2,500-1,234=1,266とすれば

残りが1,000*1 100*2 50*1 10*1 5*1 1*1となる。

前者の場合は500*2 100*2 50*1 10*1 5*1 1*1となる。

 

これも、234の部分を500で賄ってお釣りを出せばいいじゃんというノリで割と容易に解決できる。お釣り読みをしたらどうなるかは各自で考えてみてほしい(書くのが面倒なだけですごめんなさい)。

 

少し記事の趣旨からは逸れるが、いまの例は、支払い方次第で小銭の数を減らし、なんとお札に変換することまでできてしまうという点で優れている。小銭とお札の重みは大きくちがう(と僕は思っている)。

 

さていよいよ、本格的なケースを考えてみる。

 

 

 

・ステップ4

 

19,440円の買い物をしたとする。

財布の中には10,000*2 100*3 50*1 10*3 1*4がある。

 

このとき、単に10,000*2を出しても20,000-19,440=560で買い物は成立するが

 

20,050-19,440=610とすれば

財布の残りが 500*1  100*4  10*4 1*4となる。

 

前者の場合は

お釣りで 500*1  50*1  10*1が来るから

残りは 500*1  100*3  50*2  10*1  1*4となる。

 

 

 

お分かりいただけただろうか。

 

いままでは単純化されたモデルを扱っていたからすぐに理解できたかもしれない。

しかし今回は今日僕が腕時計を買ったときの財布の中身と支払い方法をそのまま書いたので、少し実践的かつ複雑でついていけなさそうな気もするが、ここで例の「お釣り読み」を適用しよう。

(もしお釣り読みをする前に上の文章を理解しようとするときは、実際に小銭を使ってやってみると視覚化されて分かりやすいです)

 

  

上の文章の太字部分に着目してほしい。10,000*2を出した場合、560円のお釣りが上の太字部分のような内訳で来るから、 これを財布の中の50*1と照らし合わせて「あっじゃあここで50*1を出せばそれが100*1にまとまる」と考えられる。

そうすれば、上記のように財布の中に50*2がある状態を回避できる。

 

 

 

お釣り読みをしてもいまいち「ま、たしかにそうだねー(棒)」のようにしか思えないかもしれないが、これを知らずにいきなり20,050-19,440=610という式を思いつくことと比べてみれば、違いは一目瞭然である。

 

 

 

 

 

 

どこか物足りないので、これについて少し考察してみる。

 

まずこの例の分かりにくさの原因は、もともと財布に入ってる小銭の数が多いことにある。

 

たしかに最小の小銭の数であるのだが、それにしても小銭の数が多く、初見ではどの硬貨を選べばよいかの取捨選択の難易度が高い。

 

お釣り読みではその問題を「硬貨ごとに着目して、余っている硬貨だけを選ぶ」というように分担している。

 

 

 

次に、お釣り読みの最大の利点は、多くの人間は込み入った引き算が苦手であるという事実に基づいている。

 

というのは、この例において

 

・20,050-19,440という演算をして正確に答えを出す

・まず20,000-19,440という演算をしてその答えを財布の中身と照らし合わせる

 

という別々の作業を比べれば、2つの意味で後者のほうが圧倒的に簡単な作業だからである。

 

まず1つ目は純粋に「1万円札2枚で支払うことと、1万円札2枚に50円玉を加えて支払うこと、どっちが自然な発想であるか?」と問われれば分かる。いままでの経験からして、どう考えても1万円札2枚のほうが自然に思いつく払い方だろう。その自然な思いつきを修正して50円玉を後から加えるほうが簡単である。

 

2つ目は、20,050-19,440=610と20,000-19,440=560という演算を比べると、後者のほうがシンプルで計算ミスもしづらい。財布の中身を見て50円玉を後出しする行為は、上の「この例の分かりにくさの原因」の部分でも述べたように、分担して考えていることによって簡単なものとなっているから、前者の演算の負担に比べればちっぽけなものに見える。

 

たしかに言われてみれば

20,050と19,440を200&50と194&40に分解して200-194と50-40をすれば簡単だよ

というのも理解できるが、買い物中にそれを直感的に思いつく人なんているのだろうか…

 

 

 

 

 

 

 

 

以上で、とりあえず書きたいことは十分詳しく説明して書いたつもりだが、ここ何言ってるか分かんねえよ!という声があれば、積極的にコメントしていただきたい。

 

たしかに少し複雑で、慣れるまで時間がかかるかもしれないが、いつでも「硬貨ごとに分担して考える」という意識を持てば、人を待たせずとも省エネな支払いができるようになるだろう。

 

しかもこれは対人での会計だけでなく、自動販売機や精算機のようなところでも使えるテクニックであるから、いろんな場面でぜひ積極的に利用してほしい。

 

 

 

 

 

と長々書きましたが、正直いちいちこんなこと考えるの面倒なので、日本も早くアメリカみたいにクレジットカード社会にならねえかなあ…と思ってます()

 

 

デフォルメ

 

気になる人ができたとして、その気になる人が例えばけっこうおとなしめの人だったとする。

 

話せば楽しいけど自分からあまり騒ごうとしない、合コンでの例をあげれば「話をふれば普通にしゃべるけどそうでないときはおしゃべりな人の話を聞いていることが多い」タイプの人。

 

 

このように、人を気になった状態でその人と会わない期間が何日か続くと、少なくとも僕の中ではその人のデフォルメが始まる。自分の中でのその人の性格が極端な方向にいってしまう。

 

 

この現象は、この説明だけでは少々分かりづらいと思う。

 

 

ではここで、そのデフォルメの結果どんなことが起こるかについて話すと

 

その人の行動が「意外なもの」に見えてしまうことが多くなる。

 

例えば、そのおとなしい人が友達にお金を借りていたとすると「えーこの人も友達からお金借りるとかそういうこともするんだ」という感情がわく。

 

「おとなしくてマジメそうなのに」という考え方である。

 

 

おそらく、僕と同じ経験をしたことがない人がこの文章を見ると「なにそれ…普通におとなしくても金は借りるだろ…なに言ってんだコイツ…」と思うにちがいない。

 

その通り、それは自分の中で性格がデフォルメされて極端になっているから起こることであり、そうなったことがない人、つまり極端な状態を経験したことがない人から見れば「異常」と言っても差し支えないことである。

 

しかし会わない状態が長く続くと、僕の場合はときどきこういうことが起こる。

 

 

 

さて、僕の話は置いといて、このデフォルメ、もう少し意味を広げると「すれちがいの原因」になるのではないか?

 

単刀直入に言ってしまえば「自分が期待した相手の像と実際の相手の像に食い違いがある」という感じに敷衍することができ

 

気になる人に対するあの程度のデフォルメなら「へーそんな一面もあるんだ」で済んでしまうが

 

これがもう少し進展したとき、自分が思っている相手と本当の相手の姿がちがったりすると、そのデフォルメは一方的な思い込みに姿を変え、それは直接的にすれちがいの原因となる。

 

もう少し詳しく説明すれば、気になる程度ならまだしも、本気でその人を狙いに行こうとしたとき、相手に多少なりともアクションを仕掛ける必要があり(僕/私はモテるのでアクションの必要ないですって人は帰ってください)

 

そこで調子に乗って自分の思い込みに従って行動すると、そんな姿を持ってはいない向こう側からすれば「この人なにしてんの」となり、これはまさに第三者的視点から見れば「すれちがい」になる。

 

 

 

 

だからこそ、そういう思い込みができてしまうからこそ、人とはきちんと会って、面と向かって会話をして互いを理解することが大事なんだ、と気づかされる。

 

 

 

 

 

時の流れ

 

僕は、3月の初めに1つ歳をとる。

 

浪人時代、それを友達に伝えると、99.9%の確率で次のように反応された。

 

 

 

「えーっもう入試終わってるじゃん」

 

 

 

そのときは目の前の勉強をこなして実力をつけることに精一杯だったから、入試のことなんか、遠い未来のように感じていた(嫌なことは長く感じるという主張と繋がる)。

 

すなわち、その反応をされたそのときは、自分の19歳の誕生日が来るときなんてまだまだ先のことだと感じていた。

 

 

しかしいま、僕は無事に19歳になって志望校に合格し、あれだけ憧れた大学生活を送っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれだけ憧れた、と書いたが、憧れとその現実は必ずしも一致しない。

 

憧れとちがうと言っても、嫌なことがあるのは仕方ない。

 

大学を卒業するために求められることはただひとつ、学問を修めることである。

 

卒業するには、これから逃げることはできない。嫌なことがあるのは仕方ない。

 

 

 

ただ、避けられるはずである「嫌なこと」に直面しているとしたらどうだろう?

 

例えば、入ったサークルが思ったより面白くなかったが、できてしまった人間関係などもあってなかなか活動の頻度を落とせないでいる。

 

入学直後に作った友達が意外と自分に合わないが、最初からずっと一緒というのもあってなかなか距離を置けずにいる。

 

新しい出会い、新しい機会がたくさんある大学生活では、こういう「心の違和感」を持たざるを得ない状況に直面することが往々にしてある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分が1年大人に近づく日が遠い未来のように感じたときがあったはずなのに、僕は今こうして19歳の生活を送っている。

 

 

まだまだ先だと思っていることも絶対にいつか来てしまうし、時は確実に流れ、僕らはそれに逆らえず老いてしまう。

 

 

若い今は、自分が将来ヨボヨボになって、場合によっては車イスを使ったり病院のベッドに寝たきりになったり、なんて考えられもしないが

 

入試が終わって僕がひとつ歳をとったように、老いもいずれやってくる。

 

 

僕らに与えられた時間はたしかに多いが、それは確実に限られている。

 

そう考えると、やりたいことは後回しにしないほうがいい、と最近強く思う。

 

 

自分が直面している「嫌なこと」がもし避けられるものなのであれば、積極的に自分の状況を変えに行ってほしい。

 

同じ場所で我慢してがんばる必要はない。この広い社会で、僕らの居場所は、1ヶ所に限られたものでは決してない。

 

今の場所が嫌でその抜け道があるのなら、勇気を出して自分(の環境)を変えに行こう。

 

僕らはいずれ老いる。だとしたら、今いる嫌な場所を抜け、元気のある若いうちは自分が安らげる環境に身をおいて、やりたいことを思う存分やろう。

 

自分(の環境)を変えるのには勇気がいる。

 

でも、変えた先に自分の喜びが待っているのなら

 

 

もう、踏み出すときはすぐそこにある。

 

 

 

 

 

 

 

 

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